2024.8.11《 桂ざこば兄さん、他界 》
今年6月12日(水)の朝、ざこば兄さんの訃報が入り、びっくり仰天。持病の喘息の発作により、急に亡くなられたのだそうです。今年になってからも元気に舞台を勤めておられたので、俄には信じられませんでした。享年76歳。
ざこばさんと初めて出会ったのは、私が4歳の時。桂米朝の長男として生まれ、幼稚園児としてぬくぬくと暮らしていた頃、中学校を卒業して間もない関口弘(せきぐち・ひろむ=のちの桂ざこばさん)少年が米朝の弟子として入って来られたのです。当時の芸名は桂朝丸(かつら・ちょうまる)。私との年齢差は11歳。幼稚園児から見た15歳の少年は「立派な大人」でした。とにかく、朝丸兄ちゃんはよく遊んでくれました。ボール投げをしたり、自転車に乗せてもらったり、武庫川で泳いだり、家の前の川で捕ったザリガニを焼いて食べさせてもらったり…。
私が噺家になってからは、兄弟子として厳しく躾けて下さいました。私がちょっと知ったかぶりをしたり、その場を取り繕うような発言をすると、すかさず「ええカッコするな!」と叱られました。怒る時にはとことん怒るけれど、褒める時はまた心の底から喜んで下さいました。何事にも正直に取り組むお兄さんでした。
1988(昭和63)年に桂ざこばという名跡を襲名してからは、ますます堂々たる高座を勤められるようになりました。私は落語作家、小佐田定雄さんの協力が大きかったのではないかと思っています。小佐田先生は江戸落語のいくつかを上方の世界に移し、ざこばさんに似合うようなネタに仕立て直されたのです。『天災』『厩火事』『子は鎹』『笠碁』『文七元結』…。どれも情趣あふれる「ざこば落語」となりました!
ざこば兄さんの最後の高座は今年2月23日の「宝塚ソリオ寄席」でした。『上燗屋』を元気に演じられ、その後、楽屋で笑福亭呂鶴さんと談笑しておられました。
そして、最後にメディアに登場されたのが3月31日。来春予定されている桂ざこば門弟の三人同時襲名に向けての記者発表の席でした。この日も笑いをとりながら「ちょうばが米之助、ひろばが力造、そうばが惣兵衛になりますんで、ひとつよろしゅうたのんます」と話された声が、まだ耳に残っています。
ご実家の隣に建てられた寄席小屋「動楽亭」は、席亭亡き後も、ご家族や一門の方々が立派に支えて行かれることでございましょう。ざこば兄さん、色々と面倒を見て下さり、ありがとうございました。これからは、あの世から我々を見守っていて下さい。そして、ちゃ〜ちゃん(米朝の愛称)と美味しい酒を酌み交わして下さいね✨