「現代のことば」<5>
関西では東京のJR山手線を「やまてせん」と呼ぶ人がいます。あれは「やまのてせん」です。「ノ」や「之」が表記されていなくても、「の」は付けなければなりません。昔からの週間は守るべき。
最近、どうも「の」を省略する傾向にあるようです。自然薯であるヤマノイモを「ヤマイモ」と言う人が増えたし、鱶のひれは、ほとんどの中華料理店で「フカヒレ」と書かれています。そのうち、筍が「タケコ」に、池坊が「イケボウ」になるかもね・・・。
地名で疑問に思うのが駅名にもなっている須磨浦公園。須磨の海岸という意味なのに「すまうら」と読ませたことから、須磨の裏手にある公園だと思っている人が少なくありません。須磨浦はやはり「すまのうら」と読ませるべきです。神戸市には一日も早く呼称変更を実施していただきたいと願う次第。
和歌浦に至っては、町名の呼び名を「わかうら」にしたため、名勝地には「和歌の浦」とひらがなを付けざるを得なくなりました。
天橋立は、今のところ「あまのはしだて」と読んでもらえているようです。
幸い、洛中の通りに関しては、綾小路、富小路、万里小路など、「の」を入れて読む週間が定着しているので、ホッとします。
かつて、日本人は氏と名の間に必ず「の」を入れて呼んでいました。菅原道真(すがわらのみちざね)や藤原鎌足(ふじわらのかまたり)といった具合に・・・。ところが、同じ藤原氏であっても分家が増えていき、近衛、九条、鷹司・・・と、新たな呼称が誕生。これが苗字です。そして、氏と区別するために、苗字と名の間には「の」を入れぬように決めたのだとか。
したがって、源義仲には「の」が入りますが、木曽義仲には「の」が入りません。同一人物でも、氏で呼ぶか苗字で呼ぶかによって、「の」の有無の差が生じるようになったというわけです。
ところが、明治政府が国民に氏か苗字のいずれかを戸籍に登録させた時、どちらを選んでも苗字扱いにしたため、それ以降、姓名の間には「の」が入らなくなったのです。茶道の祖が、千利休(せんのりきゅう)と呼ばれるのに対し、現在に家元が千宗左(せんそうさ)、千宗室(せんそうしつ)、千宗守(せんそうしゅ)と呼ばれるのも、そんな理由から。
神職が祝詞を奏上する際、「中川清大人命(なかがわのきよしうしのみこと)」などと姓名の間に「の」を入れるのは、昔のしきたりに則っているのです。
皆さん、日本語を美しくするために、もっと頻繁に「の」を使おうではありませんか!
「の」が抜けると間抜けに聞こえてしまうのは、私だけでないはず。
日本の古典文学こそ「の」の宝庫。百人一首にも登場する柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の歌など、まさにその余韻を楽しむにピッタリです。が、秋の歌なので、少々もの悲しく感じます。そこで、さらに「の」を足して春の歌にしてみました。
「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の・・・のどかにのたり野に寝たり」
人麻呂さん、ののしらないでね。