小米朝流「私的国際学」<9>(2001年3月3日)
♪あかりをつけましょぼんぼりに、お花をあげましょ桃の花…今日は楽しいひなまつり。
でも、桃はまだ咲いてないよ(お飾り用の栽培用のものは別として)。旧暦での日付をそのまま今の暦にあてはめたので、年中行事は実際の季節より約1ヵ月早まってしまった。すなわち、桃の節句に桃はなく、端午の節句に菖蒲はなく、七夕は梅雨の真っ只中になった。祇園祭や節分などは昔の時期のままで続けられている数少ない例だ。
古来より、日本人は中国から伝わった旧暦(太陰太陽暦)を採用し、独自に改良してきた。この暦法は、一年は今と同じ地球の一公転だが、ひと月は月の満ち欠けの長さ(29日か30日)となり、三年に一度の閏月で調整する。いつも1日は新月で15日は満月だった。
ところが、明治になって国際化に順応すべく、政府は西暦(グレゴリウス暦)を取り入れた。明治5年12月31日をもって旧暦を廃止し、その日を明治6年1月1日と改めて、新暦をスタートさせたのである。
そもそも西暦の年始は何ぞや。これはイエス・キリストの生誕8日目のこと。つまり、割礼(生後8日目の男児のオチンチンの包皮を一部切除する宗教儀式)の日を1月1日にしたってわけ。
私は立春あたりを年始とする旧暦のほうに風情を案じるのだが・・・。立春(冬至と春分の中間点)を起点に
一年を二十四に分けた節季(立春・雨水・啓蟄・春分・清明・・・)の雨水にまたがる月のついたちが元日となるのだ。科学的かつ合理的だと思わない?
もはや、西暦なしには生活できないが、旧暦にこそ日本文化の心があると確信する。中秋の名月(旧、8月15日)にススキとダンゴを供えるなんて美の極致だ。自然崇拝の意識がそこにある。
農業や文学や芸能が旧暦とともに育ってきたことを忘れないでほしい。私の手帳(高橋書店のティーズ・ミニ、月齢付)によると、今年のひなまつりは3月27日だ。