小米朝流「私的国際学」<12>(2001年3月24日)

英会話講師をしている外国人からこんな質問を受けた。コンビニで精算したとき、「1万円からお預かりします」と言われたが、この〝から〟は何かと・・・。私は答えに窮した。店員の文法が間違っているのだ。でも、これってよく聞くよね。そのたびに私も「からは要らないだろ」と、心の中で叫んでいる。客が「1万円からお願いします」と言うのは構わないが、「1万円から預かる」のは、どう考えてもおかしいよ。

理屈っぽくて、失礼。もう一つ聞いてくれる?最近気になることだけど、「ウチの奥さんにきいてみます」という言い方。奥さんというのは尊敬語だよ。「奥さんにどうぞよろしく」と言うのならわかるけど、自分の妻のことを「奥さん」と呼ぶのには抵抗を感じる。「妻」か「女房」、あるいは「家内」と言うてえな。

不思議と「ウチの嫁さん(嫁はん)」なら許せる。東京流だと「ウチのかみさん」になるが、これもOK。どちらも尊敬語なのだが、ともにそれを上回る尊敬語が存在するからだ。すなわち、嫁さんには〝お嫁さん〟があり、かみさんには〝おかみさん〟がある。

ところが、奥さんには〝お奥さん〟なる言葉がない。奥様自体が最上の尊敬語だからである(大奥まで行けば別だが)。強いて言えば、自分の妻を〝奥〟、相手方を〝奥さん〟とするぐらいかな(落語の『青菜』のように)。

妻が夫のことを他人に話すときも使い分けがなされている。主人に対して〝ご主人〟、旦那に対して〝旦那様〟のごとく。

妻とか夫とかいう言葉の代わりに、敬意ある言葉で伴侶を呼んできた習慣にこそ、日本語の美徳が潜んでいるように思う。そして、われわれの先達はひとつの敬語から尊敬語と謙譲語をた巧みに生み出した。だから、謙遜する気持ちがあるなら、「ウチの奥さん」とは言ってほしくないのだ。こう思うのは私だけかな?