小米朝流「私的国際学」<18>(2001年5月5日)

私が初めて外国に行ったのは高校2年の時、1975年の夏だった。行き先は西ドイツ(当時)。幸運にも、スポーツ少年団の『第2回・日独同時交流』のメンバーに選ばれ、1ヵ月ホームステイすることになったのである。

ドイツ語といえばバウム・クーヘンとヒトラーしか知らなかった私は、期待と不安を胸に、いざ日航〝DC8〟で羽田から飛び立った。

飛行機から見るドイツの美しさには息をのんだ。緑のじゅうたんが一面に広がり、深緑の森と赤い屋根が点在する・・・。「メルヘンの国や」と、心が弾んだ。16歳の少年大使は、すっかりこの環境先進国に溶け込んでしまった。

思えば、日本とドイツはかつての戦争で同盟国だった。両国とも精密機器を作らせたら他の追随を許さない。連合軍が必死になってこの二国をつぶした意図がうかがえる。国民性も「親切で頑固」という共通のイメージがあった。

ところが、戦後、頑固さはドイツに残ったが、日本では消えたよう。まず、ドイツは戦災で焼けた建物を元の形に修復したが、日本は好き勝手な町並みにしてしまった。教育システムもドイツは〝戦前〟を守ったが、日本はGHQ(連合軍総司令部)の指導に順応した。

この違いは日常の交通マナーにも当てはまる。例えば、ドイツの高速道路では遅い車は必ず走行車線に寄る(だから日本のように三車線ダンゴ状態にならない)。信号が赤から青に変わる前に、赤と黄が同時につく(「ヨーイ」という合図なのだ)。歩道と自転車道との色分けは大概の道でなされている(ひょっと自転車道を歩こうものなら後ろから罵声が飛ぶ)。

「ドイツ人は理屈っぽいからねぇ」と批判する人もいるが、グローバル・スタンダード(世界基準)にほんろうされて心を見失ってしまった日本は、ここいらで頑固精神を学び、ジャパン・スタンダード(日本基準)を主張してはどうか。