桂小米朝の「新・私的国際学」<22>(2003年9月7日)

落語が生まれて300年――。元禄時代に降って湧いたように誕生した。徳川幕府のもとで何十年も平和が続き、世の中に笑いを求める風潮が生まれた。殊に都会の人々は、懐にカネ、心に余裕を持つようになる。そんなときに現れたのが、噺家。江戸には鹿野武左衛門、京都には露の五郎兵衛、そして大阪には米沢彦八という落語家の祖が同時期に登場した。

落語家のスタイルは説教僧と同じ。法話でも面白いことをいうお坊さんに人気が集まるようになり、その中から、落語家という職業が生まれた。(「説教と話芸」関山和夫著)。そして、歴史を語る講談と、会話体で運びオチをつける落語に分かれた。

元禄期といえば西暦1680年代。ちょうど、バロック音楽の確立期と符合する。すなわち、西洋でクラシック音楽の原形が作られたころ、日本では落語の原形が作られた。クラシックがヴァイオリンなら落語は三味線。上方では寄席囃子や効果音を咄の中にふんだんに取り入れ、旅ネタや芝居咄などにも膨らみを持たせた。

つくづく不思議な芸だと思う――。和装時に携帯する扇子と手拭いだけを小道具に、メイクもせずに、何人をも演じ分ける。

「瞬時に人が変えることができるのは、正座しているから」とは、亡き枝雀さんの弁。なるほど、である。

「落語は最高のヴァーチャルだ」とは、NHKの葛西聖司アナウンサーの弁。一瞬耳を疑ったが、やはりなるほど、なのである。これほどお客さんの想像力に委ねる芸はまたとない。日本発、世界最大のヴァーチャルリアリティ・・・それが落語だ。

恐れ入るのは、古典においては作者名がないこと。先人が少しずつ改良し、今日の財産に仕立て上げた。

その先人の功績に感謝するお祭りが今年も、大阪・生國魂神社で開催されている。ここの境内で、米沢彦八が辻噺をしたという謂れで始まった――。この上方の噺家が集う「彦八まつり」で、私も夕方まで腰据えてまっせ。