小米朝流「私的国際学」<20>(2001年5月19日)

今、ISO(国際標準機構)の取得に向けて、さまざまな企業が新しい環境管理システムを打ち出している。そのひとつに「無洗米」がある。

コメの研ぎ汁が湖沼の富栄養化(赤潮)につながることから、無洗米が開発された。コメの品種は何でもよい。玄米から白米へ精製した後、特殊技術で表面の肌ぬかを取って、水洗い不要のコメができる。ぬかは有機肥料にするので一挙両得ってわけ。

この製法をめぐって、複数の企業がし烈な戦いを見せている。「わが社の機会はぬかで肌ぬかを除去します。粘土で粘土をひっつける原理です。水を一切使わないので、環境保全に適しています。」と売り込めば、「そこは〝ブラックボックス〟になっていて、見ることすらできない。しかもホースが引き込んであった」と厳しい反論が飛ぶ。

私はある会社の無洗米を家で炊いてみた。まあまあかな・・・。でも、粘り気がない。半日たつと、パサついた。チラシには「おいしさも栄養も損なわず」とある。味覚は主観的なものだが、栄養面はどうなのか。小売店主たちは「肌ぬかまで取り除いて、なぜ栄養価が維持できるのか」と、首をかしげる。チラシには「うまみ層は残る」とあるが、科学的根拠を示してほしい。

無洗米の利点は、古米や古古米が逆においしく食べられること。無洗米加工で、酸化した表面が削られるからだ。これは、回転すしやファミレスなどの大型店舗に好まれそうだよ。劣化米の在庫処理にも大いに役立つしね。

ともあれ、ISOの登場で肌ぬかには〝悪〟のイメージがついてしまった。膨大な金額の設備投資と光熱費、それに毎年の更新手数料やコンサルタント料を支払ってまで、国際機関に認められたいと願う風潮がグローバリゼーションの一つの形だ。

やがて、研ぎ汁を植木にやる人がいなくなる日が来るのだろうか。ぬかを漢字で書くと〝糠〟。健康的な物であるはずなのにねぇ。