桂小米朝の「新・私的国際学」<4>(2003年4月27日)
私はかなりのイタリア好き。料理はもとより、洋服、靴、自動車までイタリアン。「常々、日本の製造業を大切にと言うてるくせに、何ちゅうやっちゃ」とおしかりを受けそう・・・。誤解なきよう申し上げるが、私は落語家。着物はたくさんそろえているし、日本の家屋や庭園には心がなごむ。ただ、現代社会を生きる上で、イタリアには日本が学ぶべき精神が大いにあると思うのだ。
債務国のイタリア人が明るく堂々と振る舞うのに対し、技術大国の日本人はあまり尊敬されていない。この違いは何だろう。
まずは、職人の売り込み方に差があるのではないかな。ブランド名とは、つまりは創業者の名前。グッチ、プラダ、フェラガモ、アルマーニ、ストラディヴァリに至るまで・・・。代々伝えられてきた技を世界に発信する努力。このプロデュース力にこそ、ブランドが生まれる素地がある。
また、デザイン力の差も大きかろう。イタリアは、古代ローマ帝国以来の伝統的建造物が豊富なため、建築家がなかなか活躍できないのだそうな。そこで、彼らは服飾や自動車の領域に転向し、大胆で斬新なデザインを生み出すのだとか・・・。
今から7年前、そのルックスにほれて購入したクルマがアルファロメオ、155。7年たった今も、買い替える気が起こらない。ドイツ車ほど緻密ではないし、フランス車の乗り心地の良さには遠く及ばない。しかも、よく壊れる。バッテリー、ラジエータ、ギア、その他もろもろ・・・。スムーズに走る日本車がうらやましい。が、それをはねのけてあまりある楽しさがあるのだ。おしゃれなスタイル。軽快な加速感。スピードメーターが20km/hから始まっているのも面白い。止まっていても20km/hを指している。
ちょっと大げさだけれど、独特の哲学が存在する。「食べて、歌って、恋をして・・・ただし、本物の」とね。日常の空間でそれが感じられる国って、やはりすごいよね。