桂小米朝の「新・私的国際学」<30>(2003年11月23日)

今日は勤労感謝の日。紅葉をめでるに絶好の休日だ。

昔は新嘗祭(にいなめさい)と言った。「嘗」とは「饗」・・・すなわち、ごちそうを意味する。瑞穂の国(日本)の大王(おおきみ・天皇)が国民を代表して農作物の恵みに感謝する式典のことで、古来より宮中や伊勢神宮をはじめとする全国各地の神社で行われている。天皇が即位してから最初に行う新嘗祭を、特に大嘗祭(だいじょうさい)と言う。

新嘗祭の起源ははっきりしないが、文献に最初に登場するのは日本書紀。皇極天皇元年(642年)に催されたとある。なんと、大化の改新以前から続いていたのだ。

かほど歴史のある新嘗祭が、祝日の呼称からはずされたのは戦後。GHQ(連合国軍総司令部)の指導により、勤労感謝の日に改名した。おそらく、皇国史観を排除するために力が働いたのだろう。アメリカの「LABOR DAY(労働者の日)」と「THANKS GIVING DAY(感謝祭)」をたしたような名前になった。

「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう日」。漠然としてるなぁ・・・。

いかに呼び名が変わっても、われわれは新嘗祭の心を忘れてはならぬと思う。五穀豊穣を祝うのが日本文化の原点だから・・・。「いただきます」という美しい日本語も、食べ物に向かって発する言葉だ。

私は、子供のしつけも満足にできぬ今どきのオヤジであるが、食事中にテレビを消すことだけは励行している。テレビを見ながら食べていると、よく噛むことを忘れ、味覚オンチになり、家族の会話がなくなる。逆に、テレビを消すだけで、よく味わうようになり、互いに話をしだし、団欒がはぐくまれる。そして、それは子供が働く人へ感謝の気持ちを持つことにつながるのだ。今はやりの〝食育〟の第一歩もこんなところにあるのではないか。

今宵、ぜひともテレビを消しての夕食を!