桂小米朝の「新・私的国際学」<32>(2003年12月14日)
私はベートーベンが大好きだ。日頃、自分はモーツァルトの生まれかわりだと吹聴しているにもかかわらずである。
モーツァルトは、借金まみれの生活の中で、何の陰りも見られぬ天衣無縫の音楽を生み出した。まるで神業だ。凡人がいくら努力しても到底追いつけない(だから『生まれかわり』と言っているのです)。
対して、14歳年下のベートーベンの音楽には人間くささがある。努力した跡がうかがえる(なので人として尊敬に値する!)。
二人はわずかな世代差であったが、フランス革命の時期が双方の個性を大いに異ならしめた。貴族社会に生きざるを得なかったモーツァルトに対し、民衆のために作曲することができたベートーベン。
そして、もう一つ。ベートーベンの身に降りかかった耳の病気が、彼の音楽をさらに人間味あふれるものへと移行させた。
全く耳が聞こえない作曲家――。絶望のふちにたたされた彼を救ったのは、音楽だった。耳ではなく、心で聴く音楽。彼はあらゆる感情を心の中でかき鳴らし、必死に五線譜へと書き留めた。情熱、理想、苦悩、そして喜び・・・。
「第九」はベートーベン最後のシンフォニー。最も大きく心の中で鳴り響いた音楽だ。私これを聞くたびに次のようなメッセージが聞こえてくる。
「世の中、辛いことも多いけど、一生懸命生きていると、必ずいいことがやってくる。みんなで手を取り合って、苦しみを乗り越え、喜びを勝ち取ろう」
今、世界はイラク問題で揺れているが、国際政治をつかさどっている方々にぜひともベートーベンを心の耳で聴いてもらいたい。民衆のために尽くすことの素晴らしさに気づくはず。イラクの地べた(油田)だけ愛すのではなく、イラクの人を愛してこそ心が通じ合うのだということに・・・。
今年もまた「第九」の季節がやってきた。人類愛をうたうこのシンフォニーは、なんと尊い!