2010.12.06 「茂山千之丞さん逝く」
12月4日、大蔵流狂言師、茂山千之丞さんが肝細胞癌により他界されました。 87歳というお年に不足はないのですが、これまでとてもお元気だっただけに急逝という気がしてなりません。
千之丞さんは父、米朝とは昔から昵懇で、お互い「べーやん」「せんちゃん」と呼ぶ間柄でした。 権威主義とは真逆の精神で、能狂言の普及に努めておられる姿に米朝が惚れ込み、事ある毎に酒を飲みながら芸談を交わしてきた二人でした。 そのお蔭で、私は中学三年の時に千之丞さんから狂言の手ほどきを受ける機会を得たのです。 当時は素人向けの狂言教室を開かれており、大阪・東梅田の太融寺の和室で一年がかりで『舟々(フネフナ)』と小謡の『よしのは』を教えていただきました。 まぁ、その時のお声の素晴らしかったこと! もちろん千之丞さんは晩年まで張りのある声で舞台を勤めておられましたが、最初に聴いた時の「音」のような声は忘れられません。 今なお心に響いてきます。 そして、今もなお『舟々』と『よしの葉』は覚えています。
私が噺家になってからは、機会がある度に私を使って下さいました。 例えば、ご自身の還暦の時になさった「生き葬式」。 京都府立文化会館の舞台に棺桶を設え、本人自らそこに入り、来賓が次々と弔辞を読まれるんです(そこに朝比奈隆さんもおられました)が、その司会をさせていただいたのです。 一通り、弔辞が終わると棺桶の蓋が跳ね上がり、ラメ入りの衣装で梅沢登美男さんの『夢芝居』を熱唱されました♪ また、ストラビンスキーの音楽劇『兵士の物語』の演出された時には、私を語りに起用して下さいました。
一昨年の暮れにABCラジオの「米朝よもやま噺」の収録にゲストでお出でになり、米朝・米團治&千之丞・あきらという双方親子で座談をしたのが、私としては最後の千之丞さんとの仕事になりました。
常に新しいことを追求し、常に庶民の目線で物事を見ることを忘れなかった千之丞さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。