2011.05.05 「関西人から見た横浜」
今日も横浜駅界隈や 「みなとみらい」、そして 「中華街」 は大勢の観光客で賑わっています。 私は観光が目的ではないにせよ、5日間もこの地にいると、横浜のことがよく分かってきます。
横浜は港町、そして異国情緒が漂う街という点でよく神戸と比較されますが、私はどちらの街も好きです。 ただ、景観に関しては、海と山が接近していることから神戸のほうが優位だなぁと思ってきました。 が、その分、「横浜は街路樹が大きくてか沢山ある」 ということに今回初めて気づきました。
そして、もう一つの発見というか驚きは 「海に向かって立った時、太陽が後ろに位置していた」 ことです。 最初、これにはびっくりしました。 神戸でも西宮でも芦屋でも明石でも、海は南側にあります。 したがって、海に向かって立てば太陽も当然視野に入ります。 ところが、山下公園で浜側を見た時、太陽が後ろに居たのです。 海を見たら、太陽を背にすることになる? ここは日本海か? 私は狐につままれたような不安を覚え、コンビニに飛び込み、地図を買って確かめました。 すると、何ということ! 山下公園辺りの海岸線はグーッと左回りにくびれているのです。 つまり、海を見た時、北東を向いて立っていることになる。 だから、太陽は頭の後ろに来てたんです。このことを東京のメンバーの人達に言うと、皆、「そんなこと意識して歩いたことなかった」 ですって。 あとに 「あほちゃう」 とは付かなかったけど、ちょっと馬鹿にされた気になりました。
関西人は、京都にしろ大阪にしろ、東西南北に合わせて碁盤の目のように道を敷き、街づくりをしていったこともあり、道と方位を連動して考えることに慣れているのです。 関東にはその習慣がないんですね。 確かに都心は江戸城 (現・皇居) を中心に周回するように道が出来ているんですもんね。 しかも、東京湾は入り組んでいて、やたら南北に長い。 横浜から金沢八景~横須賀~浦賀まで進んでも、まだまだ東京湾の中なのです。
1853年にペリーがやってきて日本に開国を迫った時、徳川幕府が苦肉の策として浦賀を指定したのもむべなるかなですね。 この話を神奈川で行う意味は大きいなぁと、改めて感じた次第。 臨場感を持って、今日も稽古に励みます(^0_0^)