2011.05.07 「上方落語&手話落語」
7日(土)は奈良県大和郡山市で、福團治師匠とともに 「上方落語&手話落語」 というイベントに参加しました。
福團治師匠といえば、手話落語の先駆者です。 昔、過労により声帯を痛めて声が出なくなった時、苦肉の策で高座で演じた手話に、耳の聴こえない6歳の男の子が大喜びしたそうです。 その姿に逆に感動した師匠は、本格的に手話を始めることを決意。 今年で早、33年目を迎えるそうです(私の芸歴と同じや)。 「初めは色々と嫌みも言われました。 誰もやらんことをするんでっさかいなぁ」 とは師匠の弁。 でも、長い試練の末、今や手話落語は日本全国で素晴らしい評価を受けるようになりました。
この日も大和郡山城ホール(小ホール)は満員のお客様で埋め尽くされていました。 そのうち下手寄りの座席の1割ほどが音の聴こえない人達です。 そして、下手端に手話通訳の方が立たれます。
まずは、しん吉~福弥~米團治と普通の落語が続きました。 お蔭さまで、皆、大いに受けました。 ただ、聴覚が利かない彼らの視線はほぼ通訳の方に集中しています。 次に福團治師匠が登場し、手話落語を始めると彼らも演者を見ながらの爆笑となりました。 普通に聞こえる人も聴こえない人も同時に笑う瞬間を目の当たりにした私は、感動しました。 そして、僕も少しでも手話を使えるようになろうと決意しました。
後半のパネルディスカッションも盛り上がりました。 ただ、問題も提起されました。 それは通訳の立ち位置。 我々の落語を聴覚の利かない人達に伝えるには、通訳が演者のすぐ横に立って同時に両方視野に入るようにしたら一番良いだろう。 しかし、そうなると今度は普通に聞こえる人達にとって通訳の姿が目障りになってしまうということ。
ある種、日本人とアメリカ人が両方客席にいるなかで英語落語をする時の難しさと似ているなと思いました。
これは今後の課題となる点だと思います。 議論が進むうち、噺家が手話をできるようになるか、通訳が落語をマスターするようになれば、一番ええなぁということで話が落ち着きました。 いずれにせよ、お互いが歩み寄る姿勢が大切だなと感じた次第。 福團治師匠! 次回までには、小咄ぐらいはできるようになっておきます☆☆☆
終演後、大和郡山市の上田市長が楽屋を訪ねて下さいました。 実は、この催しの初めに挨拶をされ、しかも最後まで客席で聴いて下さっていたのです(^ー^) で、僕が 『太平洋序曲』 のチラシをお見せしたところ、市長が 「おっ、八嶋くんも出るんですか。 彼は奈良市出身やけど、毎年このホールでお芝居をやってくれてるんですわ」 と仰っしゃいました。 「へぇ、そうなんですか。 昨夜も一緒に宴会をしてたんですよ」 と答えました。 色々と繋がっていく『太平洋序曲』です。