2011.08.01 「桂米朝展記念落語会に国宝登場」
31日、私が大阪・高槻で落語会に勤しんでいる頃、父は東京・新宿で万雷の拍手を浴びていました。「桂米朝展記念落語会」の中の“東京やなぎ句会”同人による座談のコーナーに米朝も加わったのです。
姫路出身の父は、昔から東京への憧れが強く、昭和17年に大東文化学院に入学し、東京での下宿生活が始まります。そこで出会った作家の正岡容(マサオカ イルル)に師事し、正岡先生から上方落語界の復興に精を出すよう強く勧められ、四代目桂米團治に入門します。そんなことから、大阪に居を構えながらも東京の仕事が増え、同時に東京の友人の数も膨らみます。昭和44年、“東京やなぎ句会”が結成されるにあたり、米朝も入会し、それ以降、今日まで句会が続いてきたのです。そんな誼(ヨシミ)で、父の友人でもある句会のメンバーの中から、永六輔・大西信行・小沢昭一・加藤武・矢野誠一というお歴々がお祝いに駆けつけて下さいました。朝日放送ラジオのプロデューサー、市川寿憲さんの司会で、座談会は終始なごやかに進んだそうです。
もちろん私は観ていませんが、米朝事務所・東京のマネージャーが感想を書いて送ってくれたので、それを紹介します(^0_0^)
「温かくてすごくいい会でした。
米朝師匠もよくお話しになっていましたし、前半の落語四席もとてもよかったです。満席のお客様も開演前から高揚している感じで、ホールが揺れるような笑いが起きてました。皆さんがこれだけ楽しみにしていてくださったんだなあ、としみじみ感じました。
私はほとんど表周りで仕事してましたので、ちゃんと見ることができていないのですが、後半のよもやま噺の時の客席、舞台袖、スタッフ、皆が一体となって舞台を見つめ、耳をすます様子は今までに経験したことのないものでした。立ち会えてホントによかったです。
お蔭さまで、米朝展の来場者も今日だけで889名、累計で3148名の方にご覧頂いています。」
桂米朝展は8月2日まで。お近くへお越しの節には、是非お立ち寄りを☆☆☆