2011.10.19 「《上方落語寄席発祥の地》顕彰碑の除幕式」
19日(水)、今日は全国的にさわやかな晴天に恵まれました。上方落語に携わる者にとって、今日はとても記念すべき日となりました。上方落語の寄席発祥の地を顕彰する石碑が建ち、その除幕式が行われたのです。場所は大阪市中央区久太郎町にある坐摩神社の境内。ここは地下鉄「本町」駅からすぐ、東本願寺難波別院の真西にある神社で、正式名称は「いかすり神社」と言うのですが、通称「坐摩(ザマ)神社」と呼ばれています。語源については諸説ありまして…、それはまたの機会に。
周りを商業ビルが取り囲む船場のド真ん中に位置するこの神社の境内で、初代桂文治が大阪で初めて寄席を開いたのです。すなわち、毎日興行を行う“常打ちの小屋”を建て、落語を広めて行ったのです。頃は、寛政年間(1789~1800)──。フランスでは、バスチーユ牢獄で民衆が蜂起し、革命が起こされ、マリー・アントワネットが断頭台に立たされていた頃、大阪では長閑(ノドカ)な噺で民衆を笑いの渦に巻き込む人が街中を闊歩していたという訳です。
大阪落語の祖と言われている米沢彦八が、生國魂神社の境内で辻噺を始めたのが元禄年間(1688~1704)とされていますから、落語は百年かかってようやく民衆に受け入れられるようになったとも言えます。それに向けて大きな力を発揮したのが、初代桂文治。芝居噺の『蛸芝居』や『崇徳院』『ちはやふる』などを創作した人です。今の落語のスタイルを作ったのは初代桂文治だと言っても過言でないのです。その功績を讃えた顕彰碑ができたというのは、我々噺家にとってホンマに有難いことやなぁと、感謝しきり。
顕彰碑の建立に向けて、学術調査や多方面への働きかけにご尽力下さいました大阪藝能懇話会の肥田晧三さんと、立派な黒御影石をご提供下さいました昭陽汽船株式会社の奥野武久さん、そして何より境内への石碑建立をご快諾下さいました坐摩神社の渡邊紘一宮司に厚くお礼を申し上げます。
いよいよ除幕です。上手に春團治師匠と三枝会長、下手に肥田晧三さんと奥野武久さん。
「どうぞ」の掛け声で、四人が綱を引きます。 上手く行きました。「わぁ、綺麗!」。
臨席していた上方落語協会の噺家が全員、顕彰碑を囲んで、「はい、ポーズ」。
除幕式での報道記者との囲み取材で、三枝会長が感想を述べられた後、「米團治さんも何かどうぞ」と急に振られ、「はい。確か、ここは錦影絵発祥の地でもありますよね」と言ったところ、前から、やまだりよこ記者が「それはすぐそこの御霊神社ではなかったですか」と返され、「あ、そうでした」と泡を吹いてしまいました。トチリの米團治、健在ですf(^^;
囲み取材の後、三枝会長が私に「米朝師匠にお願いしたいことがあるんやがな」とおっしゃったので、すかさず「あ、米朝碑の建立の件ですか」「あほ、まだお元気やがな」。早トチリも健在ですf(^^;
石碑には銅板が貼り付けてあり、初代桂文治の業績が分かりやすく記されています。
お近くへお越しの節には、一度お立ち寄りを☆