2011.12.01 「人生の悲喜こもごも」
11月27日の夜、故・桂吉朝さんの奥様、上田恵子さんがお亡くなりになり、30日、お通夜がしめやかに執り行われました。恵子姉さんはいつも父、米朝のことを気にかけて下さり、しょっちゅう武庫之荘の米朝宅を訪ねて下さいました。ところが、ご自身の身体が膵臓癌に冒されていることが分かり、58歳の若さでの急逝となってしまいました。ちょうど吉朝兄さんの七回忌の追善公演の最中の訃報となったわけです。
お通夜には米朝も行くことになり、私は最前列で父とともに読経を聞いていました。その後、喪主を務める一人息子の康介くんが挨拶を始めます。子供の頃は本当に無口だった康介くんが立派に喋ってる…。私は感慨に耽りながら、彼の話を聴いていました。
通夜式が終わった後、ざこば兄さんが「おい、あと時間あるもん、チャーチャンとこへ行くぞ」と仰り、武庫之荘で恵子姉さんを偲ぶ集いを持ちました。米朝師匠を囲んで、ざこば・米輔・勢朝・米左と私、そこに弟の娘の周(アマネ)も加わって酒盛りが始まります。いきなり、ざこば兄さんが「俺が死んだら嫁はん、俺の葬式ちゃんと開いてくれるやろか? 出席もせえへんのと違うやろか。あぁ~心配になってきた。嫁はんとは仲良うしとかなアカンわ。おい、米團治! お前も嫁はんに謝らんならんことあるやろ。無いとは言わさんぞ」と、こっちに矛先が向いて来ました。
そういや、南光兄さんが「もし、米團治が先に死んだら、俺がお前の葬式の司会を務めるからな。焼香順で親族と一般の間に、色街関係と親族になりかけた人のコーナーを作るねん」と言うてはったなぁ。
その夜は、武庫之荘で日本酒を4合ほど飲み、その後、ざこば兄さんの家でまた2合ほど飲み、ベロベロになって床に就きました。落語の話、夫婦の話、老後の話…びっくりするような話がどんどん飛び出したようなのですが、私、全然覚えてません。知りたい方は、しらふで付き合っていた團治郎に訊いて下さい。ただ、これだけは言えます。「由起子、いつもありがとう!」。妻に感謝の一日でした☆☆☆