2012.03.09 「信貴山参拝」

生まれて初めて信貴山に登りました。生駒山系の南端に位置する信貴山──、関西に住んでいながら、これまで一度もここへ行く機会を持たずに過ごして来ました。

 

お誘い下さったのは、神社仏閣参拝仲間の明神さん。昨年12月、ともに宮古島巡りをした明神さんご一家から「素敵なお山ですから、是非一度!」とのお声掛けをいただき、信貴山詣でが実現しました。

 

奈良県生駒郡平群町に位置する信貴山──。すぐ西は大阪府。すなわち大阪と奈良を結ぶお山です。「山に登る前に、ちょっとここに立ち寄りましょう」と、まずは大阪側の麓にある岩戸神社に参拝。大阪府八尾市大字教興寺にある岩戸神社は、創建がかなり古いとされる天照大神高座神社と隣接しているお宮さんです。かの空海が天照大神高座神社にある白飯之滝で修行をしていた時に大神の託宣を受けて弁財天を奉り、やがて神仏習合して市杵島姫命を祭るようになったのが岩戸神社。

 

だから、二つはイケイケです。境内はとてもよい氣に満ちていました。たまたま宮司さんと出会い、親しくお話させていただきました(^ー^)

 

 

さて、いよいよ信貴山参拝です。ここは今から1400年前、かの聖徳太子が物部守屋を討伐するための戦勝祈願をした時に毘沙門天が現れて必勝の秘法を授かったとされる所。その日が寅年、寅の日、寅の刻であったため、虎が守り神となっているのだとか。太子自ら毘沙門天王の像を刻み、伽藍を創建して「信ずべし、貴ぶべき山──、則ち信貴山」と命名したのだそうです。

  

 

そして、寺号を朝護孫子寺と言うのですが、これは醍醐天皇の病気平癒のため、命達上人が毘沙門天王に願をかけたところ、たちまち病いが治ったので、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」との勅号を賜ったのだそうです。

  

 

毘沙門天のお使いは百足(ムカデ)です。弁財天のお使いが蛇、お稲荷さんのお使いが狐であるように、皆、お使いを持ってはるんですね。毘沙門さんが弁天さんに手紙をことづけた小咄がありまして──、「これ、百足!」「へ~ぃ、毘沙門さま。何ぞ御用で」「この手紙を弁天さんの所まで持って行ってくれ」「承知しました」。だいぶ経ってから毘沙門さんが百足の様子を窺うと、まだ玄関でゴソゴソしてる。「お前まだ行ってないのか。何をしてんねん?」「へぇ、草鞋(ワラジ)を履いております」。

 

さて──、本堂をお参りし、お堂の真下の真っ暗な回廊を歩く“戒壇巡り”も済ませた後、「上まで行きますか」と、我々“明るく神さん詣でをする一行”は、「よし」と気合いを入れて山頂まで登り、ひと汗かいて空鉢護法堂に到着。そこには若き日の空海が修行した「虚空蔵求聞持法」のご本尊である虚空蔵菩薩が安置されてありました(^人^)

  

 
 

そして、その周りには白龍・青龍・天龍などなど、沢山の龍神さまの祠がありました。また、北斗七星を信仰する八体の像が並んでいました。「北斗七星やのに八体ある…、一体どないなってんねん!?」

 

 

聖徳太子から役行者(エンノギョウジャ)、そして弘法大師に至る真言密教の繋がりの強さを改めて感じました。明神家の皆さん、ご案内ありがとうございました(^ー^) 奈良の法隆寺も含めて、信貴山から大阪府の太子町、柏原市、八尾市にかけての社寺を、いつか時間をかけてゆっくり回ってみよう☆☆☆