2012.03.26 「宮古の旅、一日目──宮古島の石庭」
関空~那覇~宮古のルートで宮古空港についた明神さん一家と私。何はともあれ、レンタカー屋のお兄さんに訊いたお食事処『金吾』で腹ごしらえ。ソーキそばと島らっきょの天ぷら──、実に美味しかった(^q^)
昼食を済ませた我々は、まず御嶽(ウタキ)に向かいました。御嶽とは、神社とお墓と仏壇が合わさったような、沖縄独特の祠(ホコラ)のこと。代々、老女(ノロ)と呼ばれる女性が守っているということは、前回の旅で調査済み。 島中に数えきれないほど沢山の御嶽がありますが、平良港の近くにある瀧水御嶽(タキミズウタキ)が島の根本的な御嶽だということなので、まず、ここで手を合わせました。
祠を被(オオ)うように聳えるガジュマルの木が、何とも誇らしげ! とても清々しい気持ちにしてくれました☆☆☆
さて、この日の収穫は「石庭」に出会えたことです。明神さんが宮古島在住の知人から聞いていた石庭を見に行こうということになり、石庭の持ち主…というより、造り手である新城定吉さん宅に電話をし、宮古島市平良字下里のご自宅への行き方を尋ねて、ほどなく到着。娘さん(らしき人)から「よくここが分かりましたね。(神様に)招かれたんですね」との出迎えを受け、石庭に通されました。
ここは、新城定吉さんが1980(昭和55)年5月1日から地面に次々と穴を掘り、地中にある大きな岩石をテコの原理を使って掘り出し、それを(天からの啓示を受けるままに)積み上げて、幾重にも連なる巨大なストーンサークルのように配置して完成させた庭なのです。
「日本は本来、石や水や森や空気など自然界の物質にエネルギーを感じ、それらを崇めてきた民族。日本人がその精神を極めれば、万物の調和と繁栄に大いに貢献できるはず」との考えの下、周りから何と言われようとも、新城さんは一人で30年間、石庭作りに邁進して来られたんだそうです。
そういや、珊瑚礁は何億年にもわたって海中で生きてきた生物の化石ですよね。沖縄はそれが隆起して陸となった所ですから、そこにはとても大きなエネルギーが宿っているはず。私は“氣”の力はあまり感じないほうですが、そんな私でも石庭の空間にいるだけで、それまでとは違う温かさを感じ取ることができました(^ー^)
石庭を見た後、「家にお入り下さい」と声を掛けていただいたので、中に入るとそこにはデンとあぐらをかいて座っている造り手の姿が! 新城定吉さんは大正10年生まれ…ということは、現在90歳!? とても90には見えません。めっちゃ若々しい(^0_0^) さすがに“岩起こし”は一昨年で止められたそうですが、矍鑠(カクシャク)とした姿には若者の鋭気すら感じます。また、30年に及ぶ石庭造りの経緯と、ご自身の思いを書き綴り、それを本にもしておられます。
新城さんは「地球も人間も含めて、万物が生かされているのは、素粒子が常に働いて(飛び交って)くれているからだ」と説き、「この世には、光より速く動く物質がある」と唱えて来られました。昨年の9月23日にイタリア・グランサッソ国立研究所のミリアッチ博士が「ニュートリノは光速よりも速い」との実験結果を発表しましたが、新城さんはすでに10年以上も前に、この説を唱えておられたのです。
90歳の若者の熱弁に耳を傾けた我々は、そのあと砂山ビーチの白砂に心和ませ、宿屋へと向かいました。
今回も前回と同じ「ここみ家」に宿泊。ここは滋賀県からこの地に移り住んだご夫妻が経営するペンション。前回は奥様が出産のため実家に帰っておられ、旦那が一人で(寂しそうに)切り盛りしておられましたが、今回は奥様と二人の息子さんに囲まれて、とても幸せそうでした。しかも、お爺さん(旦那のお父さん)までおられたのです。3月末まで、お孫さんの守りためにと…。しかも、この方、私の大ファン! 滋賀県での落語会は勿論、びわ湖ホールのジルヴェスタ・コンサートにも毎年聴きにいらしているとかで…。ここでも元気なお爺さんの熱弁を聞くことができましたf(^_^;
この夜は、地元の人がよく行くという居酒屋『たら福』で、たらふく食べて、宮古を満喫しました。「ずみ~(最高)!」(^q^)
『たら福』は地元の方のご推奨。 「お通し」だけで、こんなに沢山。
焼き茄子は二回、追加注文しました(トマトも赤くて甘かった)。パパイアチャンプルも美味。
(続きは次回)