2012.10.02 「桂平治改メ、十一代 桂文治襲名披露公演」
9月21日、東西双方の落語界にとって最も大きな名跡である桂文治の11代目が誕生しました!
その名を受け継ぐことになったのは、江戸落語界の花形、落語芸術協会所属の桂平治クン。若干45歳の彼が文治という大名跡を襲名するに至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。
そもそも、桂文治は上方の名前なのです。初代は安永2(1773)年の生まれで、芝居噺や鳴物入りの噺を次々と作り、今の上方落語の土壌を作ったと言っても過言ではないほどの人。大阪で初めて常打ちの寄席小屋を建てたのも初代文治です。昨年、その顕彰碑が坐摩神社の境内に建てられたのは、まだ記憶に新しいところ。(その様子はこちら)
ところが、三代目から東西双方に文治ができ、五代目からは江戸にだけ存在する名前となりました。一度、初代米團治が「一代限り」という約束で七代目文治を襲名し、名前を上方に戻しましたが、その後は再び江戸の噺家が名乗り、現在に至っているという訳です。
したがって、関西の噺家の中には「文治は大阪の名前や!」と血気盛んに捲し立てる人もいて、果たしてどちらのものなのか…はっきりしないのが実情です。
そんな中での今回の襲名──。新しい文治クンは上方の面々に気を使い、上方落語協会に挨拶に来た後、初代文治の顕彰碑にも手を合わせ、9月21日から始まった襲名披露興行には、毎日、上方の噺家を一人招いておられます。
そんな誼(ヨシミ)で私も29日と30日の二日間、襲名披露興行に参加することができました。
場所は新宿末広亭──。噺家を志す者は一度は舞台に立ちたいと憧れる老舗の寄席小屋です。しかし、私は大阪の噺家。落語協会にも落語芸術協会にも所属していないので、定席には出られません。
実は、一度だけ高座に上がったことがありました。今から10年ほど前に、春風亭小朝さんがプロデュースした余一会(31日まである月の月末にだけ開催される自由な企画が許される会)でのこと。その時、末広亭の舞台と客席が一体となる見事なまでの空気感に、鳥肌が立つほど感動したものです。(ちなみに、その日の先代円楽師匠の『中村仲蔵』にも大感動しました☆☆☆)。
それ以来の出演。久しぶりに高座に上がった末広亭は、やはり良かった!! 客席と高座が一体となる瞬間を感じることができ、幸せでした(^ー^) そして、落語芸術協会の皆が新しい文治クンを親身になって応援している空気がひしひしと伝わってきて、温かい気持ちになりました(^ー^)
11代目を彼が継いで本当に良かったなと思います。というのも、終演後、新宿の「叙々苑」で美味しいすき焼をご馳走してもらえたから(^o^ゞ