2013.06.15 《近江の旅「湖東~湖北編」第2章》
14日(金)は、いよいよ竹生島へと向かいます! 弁才天のおわすこの島へは私、一度も行ったことがありませんでした。初体験~☆
前夜、旅籠「白忠」では数々の郷土料理を味わいました。琵琶鱒の造り、真鴨の燻製、鯖そうめん…。ほんまもんを堪能した我々でしたが、朝食にも元気百倍のメニューが並びました! 白米、玉子焼、豆腐、琵琶湖の小魚…と、どれもこれも美味しかった(^q^)
「白忠」の蔵の前で、女将さんや仲居さんとともに記念撮影☆
さて、宿の皆さんと別れを交わして、長浜港から連絡船に乗ります。
今日もいい天気(^0_0^) 実に快適(^ー^)
竹生島は琵琶湖の北寄りに位置する周囲2kmの小島です。島のすぐ西側には琵琶湖の最深部があり、深さ104.1m。また、北側の水深70mの湖底には遺跡があり、そこから沢山の土器が引き揚げられたのだとか…。土器の時代は縄文から弥生、中世にまで及んでおり、いつ、どのようにして沈んだのか、今なお謎に包まれているんだそうです。
昔から龍神さんが宿る島として多くの人々に崇められて来た理由もそこにあるのかもしれません。そう言えば、お能や平曲(平家琵琶)でも『竹生島』は有名ですもんね。
観光客は多いけれど、お土産物屋さんは通いだそうですし、社寺の守りをする方が交代で泊まるだけなので、基本的には無人島なのだとか。
竹生島に着くと、目の前に神社とお寺が聳えていました。
竹生島神社の正式名称は都久夫須麻(ツクブスマ)神社。主祭神は市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。ほかに宇賀福神、浅井比売命、竹生島龍神。そして、神社の本殿とお寺の観音堂が渡り廊下で繋がっています。
お寺の名前は真言宗豊山派の宝厳寺(ホウゴンジ)。ご本尊は辧才天(ベンザイテン)、いわゆる弁天様。市杵島姫命の本地仏です。宝厳寺の歴史は古く、聖武天皇の勅願により、724(神亀元)年に行基上人が開山したと伝えられています。実は、近世までは宝厳寺の中に都久夫須麻神社が含まれていたんだとか。「弁天堂」や「観音堂」と並列して「都久夫須麻神社」が存在していたそうです。神仏習合だった様子がよく窺えます。
普通は宝巌寺から都久夫須麻神社へと参拝するらしいのですが、同行の明神さんが「神社からお参りしましょう」と言うので、「はい、そうしましょう」と神社に向かったところ、境内から大きな歓声が聞こえて来ました。見れば、宮司さんによる餅撒きの真っ最中。なんと、この日が年に一度の「龍神まつり」の日だったのです!
「お祭りに参加される人はこちらへどうぞ」という神主さんの声に送られるように道を進むと、海岸べりの斎庭(ユニワ=祭りのために清められた、神が降り立つ場所)に辿り着きました。
琵琶湖の恩恵を感じ、生あるものを慈しみ、斎庭から琵琶湖に稚魚を戻す行事──これが「龍神まつり」。
祝詞奏上の時、どことなく龍神さんや白い巳ぃさんまでが勢揃いして、凛と立っているような光景を思い描きました(^-^ゞ
玉串奉奠の後、参列者全員(我々に至るまで)が、海に餅と玉子を投げ、稚魚を放つ儀式を執り行い、祭りは終了。
龍神まつりのお手伝いに来られていた長浜市の日枝神社の宮司さんとツーショット☆
その後、龍神拝所でかわらけ投げをし、本殿を参拝し、渡り廊下を通って宝巌寺の観音堂へ。
観音堂の前にある唐門。
辧才天が安置されている弁天堂。ここの紅葉は春に一度赤く染まる不思議な木。
この木、何の木? モチの木。
高台から見下ろす眺めも抜群(^0_0^)
再び船に乗って、竹生島を去ろうとした時──。
なんと、空には龍雲が!
そして、放射状に伸びてるではありませんか!
龍神さんに見送られていたんでしょうね☆☆☆ ありがとう! また来ますね(^人^)
竹生島はまさに“龍”のおわす島でした(^ー^)