2013.10.29 《吹田の神社仏閣》
大阪府吹田市に住み出して早20年──。しかし、地元・吹田の神社仏閣をゆっくり回っていないことに気づきました(^o^ゞ
全国津々浦々、少々無理してでも結構いろんな神社を訪ねているくせに、灯台もとは暗し…、地元のことにあまり明るくありませんでした。これではいけません。
「よし!」。久しぶりに気持ちよく晴れ上がった28日(月)、私は地元の社寺をお詣りすることにしました(^0_0^)
実は、どうしても行ってみたい神社があったのです。それは伊射奈岐神社。それも佐井寺1丁目のほうに…。
吹田の伊射奈岐神社は地理的にとても面白く、淡路島の中程にある伊弉諾神宮と、琵琶湖の湖東にある多賀大社のちょうど中間あたりに位置しているのです。そして、三社とも御祭神がイザナギ・イザナミノミコト。
吹田の伊射奈岐神社を中心に、ほかの二社が点対称の位置にあるのです。淡路島と琵琶湖も、吹田を中心にクルッと反転させたような形ですしね。
そして、ものの本には「吹田の伊射奈岐神社は二座あり、一つは山田東に、もう一つは佐井寺に」と書かれてあります。私はこれまで山田東の伊射奈岐神社にはたまに参拝していましたが、佐井寺のほうはどうしても見つけられなかったのです。
昭文社の吹田市地図にも鳥居マークがなく、時間に急かされていたこともあり、途中で断念。
ところが、昨日購入した昭文社の吹田市地図には鳥居マークが入ってた! これなら行けるかもと、弟子の米輝にクルマを運転させ、佐井寺1丁目へと向かいました。
途中、道が狭くなってきたので、コインパーキングにクルマを入れて、徒歩で神社を探します。
佐井寺界隈にはあちこちに昔ながらの旧家がで~んと建っています。なかなか歴史の重みを感じる家並みです。但し、道が細くて、坂が多い。地図があるのに、鳥居マークも付いているのに、なかなか辿り着けない。
ここ、オリエンテーリングには絶好のポイントですよ(^o^ゞ
突然、こんもりとした森が現れました。
見上げると、立派な社殿の姿! 「へぇ~、こんな所にあったんや」。
お参りを済ませた時、たまたま宮司さんに出会い、話を聞くことができました。
「伊射奈岐神社が二つあるのはどうしてですか」という私の問いかけに、宮司さんは「元々はこちらが伊射奈岐神社で、山田のほうは伊射奈美神社だったんですよ」と即答されました。「実際、あちらの御祭神は伊射奈美之命ですしね。でも、なぜか伊射奈岐神社に変えられたのです。ひょっとしたら、『延喜式神名帳』の摂津国島下郡に伊射奈岐神社が二座あるという記述に倣われたのかもしれません。私は伊射奈岐と伊射奈美で二座という解釈でよいと思うのですが…」。
なるほど、正にその通り。男神と女神の二座で一対となってこそ、万物が育まれるんですからね(^ー^) 陰陽が合体してこそ、世の中うまく行く。安倍晴明伝来の陰陽師の精神とも符合する☆
少なくとも、私はこれから山田東のほうは「伊射奈美神社」と呼ぶことにしよう!
佐井寺の伊射奈岐神社の裏手には「佐井の清水」の石碑がありました。ニュータウン建設が始まるまでは、ここからこんこんと水が湧いていたそうです。
訊けば、ここは鎌倉時代は山岳信仰がさかんであった場所。なるほど、この複雑な道の付き方はその影響もあったのか。知らず知らずのうちにかなりの高台に登ってきていたようで、ここから見下ろす景色はなかなかのものでした(^0_0^)
地名にもなっている佐井寺(サイデラ)は、神社のすぐ傍にありました。
ここは行基上人が創建に関わったと伝えられている真言宗のお寺。なるほど、さもありなん。地元の古老の方々は佐井寺のことを「山田寺(サンデンジ)」と呼んでいるのだとか。本堂は閉まっていて、中へは入れませんでしたが、ご本尊は十一面観世音菩薩だそうです。
本堂は閉まっていましたが、傍らの鐘楼には立派な鐘が釣られてる!
鐘を見たら、撞きたくなる性分の私f(^ー^;
ゴ~~~ン! わぁ、めっちゃええ音\(^-^)/
佐井寺の手水舎では、清水がチョロチョロと湧き出ていました。これにはビックリ!
さて、次なる参詣地は、私は「伊射奈美神社」と呼ぶことに決めた山田東の伊射奈岐神社。
ここの境内もきれいに掃き清められてありました(^0_0^) 拝殿の中も清々しい空気に満ちています☆☆
社殿裏手の竹の小径もとても穏やか(^0_0^)
但し、弁財天の池は水が干上がっていました。これじゃ、龍神さんは降りて来れないよぉf(^^;
さて、もう一社。
今度は、阪急吹田駅から北東へすぐの所にある泉殿宮(イズドノグウ)。主祭神は宇迦之御魂大神(ウガノミタマノオオカミ)。
境内の大きな楠が印象的です☆☆☆
泉殿宮こそ、かつては境内にこんこんと清水が湧いていた所で、この水を使ってビールを作った会社がアサヒビール(^_^)/□☆□\(^_^)
参拝の後、ここでも宮司さんとお話をすることができました。「泉殿の霊泉は今はもう出ないんですよね。いつ頃でなくなったんですか」という私の問いかけに、宮司さんは丁寧に答えて下さいました。「昭和39年頃まではこんこんと湧き出てたんですが、宅地開発が進んで田圃が少なるのに合わせるかの如く、湧水は止まってしまいました」「あ、昭和39年は名神高速道路が開通した年ですよね。千里山トンネルが地下の水脈を塞(フサ)いだということは考えられませんか」「ひょっとしたら、それもあるかもしれませんね」。
私は心の中で「そうに違いない」と叫んでいました。大阪府による赤字承知の“彩都”宅地開発のため、箕面グリーンロードという長い長いトンネルを掘った途端、箕面の滝の水が干上がってしまい、今や上水道の水を足して流す滝になってしもたんやからなぁ…。
いや、土木工事そのものを否定しているのではない。日本の土木技術は素晴らしい。トンネルや鉄橋や高速道路があるお蔭で、いつも快適な旅ができる。この技術は世界に冠たるものだと誇りにさえ思っている。
ただ、便利さを追求するあまり、自然環境とのバランスが崩れて行くのが辛いなぁと思う次第。これは難しい問題やなぁ…と一人嘆いていると、宮司さんは笑顔を絶やさず、「たぶん田圃が無くなったから、水も止まったんでしょう。また必要となった時には湧き出てくる。そう信じています。それより、吹田の地車(ダンジリ)をご覧になりませんか」と、私を祠に案内して下さいました。
ここは地車戎神社という境内末社。天保年間に作られた地元(西の庄町)の地車(ダンジリ)に、西宮の戎神社から分けられた御魂を入れて、お祭りしているのだとか。細部の彫刻など、まぁ見事です!
吹田で伝承されてきた祭りを次代にうまく伝えて行こうする宮司さんの情熱がひしひしと感じられました(^人^)
ちなみに、この日まわった三社の拝殿の屋根はすべて男千木(オチギ)でした。
吹田は、かつて「水田」と書いていたそうです。こんこんと水が湧き出ることで知られた土地であったことがよく分かりました。
この日は行けませんでしたが、ほかにも垂水神社や片山神社、高浜神社など、吹田には由緒あるお宮さんが沢山あります。
もっともっと吹田のことを知りたくなった私です☆☆☆