2014.01.13 《笑いの泉「ももやま亭」》
12日(日)は、京都市伏見区桃山界隈を満喫しました。
太閤秀吉のお膝元、桃山城の南側──、京阪宇治線の桃山南口駅から徒歩10分の所にある「ももやま亭」への出番があり、クルマで向かったのですが、かなり早く着いたので、そこいらを散策することに…。
実は、桃山城の天守閣のすぐ南側に明治天皇と皇后(なぜか皇太后と呼ばれています)のお墓(御陵)があるのです。
御陵の麓でクルマを停め、そこから見上げると、長い長い階段が連なっているではありませんか!
私が数えたところ、246段ありました。
階段を登りきった所にある御陵──。
厳かで静かな佇まいです。
東側の皇后御陵には穏やかな空気を感じました。
緑豊かなこの御陵の周りはジョギングやウォーキングをしている人達がとても多く、桃山に住む方々の憩いの場になっていることを実感(^0_0^)
ここからは宇治方面の景色がよく見下ろせます。
ジョギングをしている一人から「小米朝さんですね」と声を掛けられました。もう襲名して5年になるんやけどなぁと思いながらも、「はい、そうです」と応えると、「今日、近くの落語会に出はりますんやろ。ポスター見ましたよ」とのこと。それは知ってくれてはるんやなぁと少し安堵して、「なんで明治天皇の御陵が桃山にあるんですか」と訊くと、「あ、ほんまや…なんででっしゃろなぁ。東京へ行きはった方やのに…。すんません、地元やのにようわかりまへんわ」と、笑顔を残して走って行かはりました。
あとで調べたら、「明治天皇御陵が伏見桃山にあるのは、陛下の遺言によるもの」とのこと。へぇ…。
「明治天皇は南朝の末裔、大室寅之助であり、したがって北朝方の係累である京都を離れて東京へ行かれた」と記されている書物もあったりで、この辺の件りは歴史ロマンとして謎めいていて、面白いですね。
そう言えば、「徳川家康のお墓が三河国に無く、日光東照宮が菩提寺であることから、家康は群馬県高崎市世良田の出身であった」と書かれた本もあったよなぁと、歴史秘話に思いを寄せながら、JR奈良線の踏切を越え、近鉄京都線の桃山御陵前駅前にある御香宮(ゴコウノミヤ)に参拝。
主祭神は神功皇后。
御香水が有名。伏見が酒処である所以でもあります。
境内には、北東奥の太神宮を初め、摂社末社が沢山あり、綺麗に清められてありました。
ここは、鳥羽・伏見の戦い(戊辰戦争)が起きた場所でもあります。徳川幕府から明治政府へ取って変わる天下分け目の激戦地だったのです。明治天皇が「御陵は伏見に」とおっしゃった理由も、ここにあるのかもしれません。
そう言えば、御陵のすぐ南側に乃木神社があったことを思い出し、再び御陵の山麓へとクルマを走らせました。
明治天皇を敬愛した陸軍大将、乃木希典(ノギ・マレスケ)が奉られている神社です。
乃木さんの偉業がいろんな形で展示されています。
これまで私は、「伏見って洛中から見て東南のはずれに位置する街だよなぁ」ぐらいにしか思っていませんでしたが、太閤秀吉の時代から…いや、古くは醍醐天皇の時代から政(マツリゴト)の核となってきた土地であることがよく分かりました。
今回は大本山、伏見稲荷神社にお参りする時間はありませんでしたが、またゆっくりと参詣しようと思った次第。
桃山界隈を探索してから落語会に臨んだため、和気藹々とした雰囲気で噺を進めることができました(^ー^)
「ももやま亭」はいわゆる地域寄席。50人でほぼ一杯になる所に、60人以上のお客様が詰めかけて下さり、大いに賑わいました(^o^)/
『子ほめ』 慶治朗
『掛け取り』 米團治
〈中入〉
『はてなの茶碗』 米團治
「抽選コーナー」
ご来場ありがとうございましたm(__)m
終演後は「米團治手拭い」と「こだわりオニオンカレー」を販売させていただき、なんと完売(^人^)
実は、カレーは少し売れ残っていたのですが、一人のお客様が「それ、全部買わせていただきます」と仰って下さったのです。そのご本人、MYホームの田原さん、そして席亭の沼田さんと一緒に記念撮影(^人^)
「ごんべ」という美味しいお好み焼き屋さんで楽しく打ち上げ(^_^)/□☆□\(^_^)
伏見桃山を堪能しました(^0_0^)