2014.02.19 《淡路島~丹後の旅[第1章]》
日常のウサを吹き飛ばし、エネルギーを補給するために、明神ファミリーと行く神社仏閣参拝旅行──。
今回は、二年ぶりに丹後の宮津へ行く予定でしたが、明神家のお母さんが「淡路島に素敵なお宮さんがあるみたい。諭鶴羽(ユヅルハ)神社っていう名前。惹かれるでしょ」と言い出し、急遽、淡路島経由で丹後へ向かう二泊三日の旅となりました。
二泊三日とは言え、一日目は大阪を夜に出て、淡路島の宿で寝るだけなので、実質は二泊二日の旅です(^o^ゞ
イルミネーションが美しい夜の明石海峡大橋を越え、洲本市は洲本温泉の一角にある海のホテル「島花」に到着。
すぐ傍のコンビニで、黒猫に遭遇。なぜか私は旅先でよく黒猫に出会うのです(^0_0^)
人慣れしている猫でした。嫌がっているように写っていますが、実際はとてもなついてたんですよ(^^ゞ
海のホテル「島花」では、最上階の(と言っても、6階ですが…)展望風呂からは対岸の泉州の夜景が楽しめ、空には満天の星が輝き、久しぶりにオリオン座や北斗七星をゆっくりと眺めることができました(^ー^)
翌朝は幻想的な朝日とともに爽やかに起床(^0_0^)
朝食は淡路島の新鮮な野菜がふんだんに使われていて、とても美味しかった(^q^)
ここは近くの数件の温泉宿と提携していて、船やバスを使ってほかの宿の温泉にも浸かりに行けるのです。料金もリーズナブルなので、いつか一門で合宿する時などには利用したいなぁと思った次第(^0_0^)
さて、今回はいきなり眼目の諭鶴羽神社に向かいます。淡路島の南端近くに聳える諭鶴羽山。標高657.9m、淡路島で一番高い山。その山頂付近に神社があるのだとか…。
はっきり言って、淡路島にこんなに高い山があるなんて全く知りませんでした。
クルマで洲本市の海岸沿いを走ります。由良から立川水仙郷を経由して、淡路島の南岸を紀伊水道の穏やかな海を眺めつつ、「あれが日本の国生み伝説のオノゴロ島の有力候補地と言われている沼島(ヌシマ)やで」などと談笑しながら、とてものどかな気分で運転していました。
ところが、南あわじ市の灘黒岩水仙郷に着き、「諭鶴羽神社→」の看板を見た時、あまりの急勾配にびっくり! 六甲山や生駒山の比ではありません。坂が急であるだけでなく、道幅がどんどん狭まって行くのです。かたや岩肌剥き出しの壁、かたや崖っ縁! 「これを行きますか…」。運転好きの私は俄然張りきりましたが、明神さんのお母さんは「あ~落ちる~」と、雄叫びの連続。でも、私は全く頓着なし。去年の多賀大社の奥宮の御神木を見に行く道に比べれば、怖くもなんともない(^ー^) むしろ、導かれるように、どんどんクルマを走らせました♪
「淡路島にこんな山深い所があったやなんて! あ、3年前に訪れた屋久島に似てるよなぁ。さすが、国生みの島やなぁ」などと思いをめぐらせながら、諭鶴羽神社に到着。
いやぁ、諭鶴羽神社は凄かった!
創建は開化天皇(紀元前98年)の御代というから驚きです。
ご祭神は、伊弉冉尊(イザナミノミコト)、速玉男命(ハヤタマノヲノミコト)、事解男命(コトサカノヲノミコト)の三柱。
中世には修験道の一大道場として栄えていたそうで、1163(長寛元)年に書かれた『長寛勘文』の「熊野権現御垂迹伝」によると、熊野の神様は九州の英彦山から四国の石鎚山、そしてこの諭鶴羽山を経て、熊野新宮・神蔵の峯に渡られたと記されています。すなわち、ここは熊野権現の元宮だったのです。
そう言えば、清少納言の『枕草子』にも「峰はゆずりはの峰 あみだの峰 いや高の峰…」とあったよなぁ。
小石が自然に絡み合い、いつしか大きな巌(イワオ)となる“さざれ石”。
諭鶴羽の名前の由来は、ここに植物のユズリハが多く自生していたからだそうです。古名には「譲葉山」との記載もあったとか…。
お社の周りの木々に、並々ならぬ神々しさを感じました☆☆☆
大祭の日には、御輿を担いで、山頂まで登るのだとか…。徳島県の剣山にも似ていますね☆☆☆
山頂付近に作られた平和記念塔(やまぼうしの広場)では、なぜか宇宙との繋がりを感じました↑↑↑
諭鶴羽山の尾根から眺める沼島は実に神秘的でした。
次回はもっと時間を作って、是非とも船で渡りますねo(^o^)o
(続きは次章に)