2015.02.24 《「落語とクラシック」 in ブルゴーニュ 第1章》
日本とヨーロッパの時差は8時間。17日(火)の昼過ぎに関空を離陸し、極寒のシベリア上空を飛び、12時間後にシャルル・ド・ゴール空港へと着陸。されど時刻は17日(火)の午後4時半。得した気分でレンタカー屋へ向かいます。
今回、有難いことに、国際免許を持っている西尾和浩さんが運転を引き受けて下さったのです(^人^) カウンターでフランス語を流暢に話す姿のなんとカッコいいこと!
思わず、私は20日に舞台で喋るフランス語を呟きました(^^ゞ
全員の荷物をレンタカーに積み込み、ブルゴーニュ目指していざ出発──。
ところが、「え~っと、どっちやったかなぁ」と西尾さん、しどろもどろのハンドルさばき。「いや、国道へ出たら、あとは大丈夫なんですよ。えーっと、確か、こっちのはず…」と走っていたら、いつしか元のレンタカー屋に帰還。「あんた、戻って来たやないの」と容子さん。「この人、必ず三回は迷うんです」との一言で一同大笑い(^o^ゞ
二回目のトライも失敗し、再び空港に戻って来た時には、『船徳』に登場するお客の気分になりましたf(^^; 「日は暮れかかるわ、宿屋へは遠いわ、足は痛むわ、遠寺の鐘がボ~ンと鳴ったら、どないしょう」と『七度狐』の世界に浸りながらも、ようやく国道に入ることが叶い、ひと安心f(^_^;
いや、確かに西尾さんが迷われる通り、フランスの道路は案内表示が少なく、しかも小さいのです。景観を大切にする意識が徹底しているので、高速道路にすら照明は無く、道路標識にも灯りは当てられていません。この時ばかりは、煌々と照らされた日本の標識の有難さが身に染みました。
口では偉そうに言うてても、西尾さんに頼りっきりの我々一同。シャルル・ド・ゴール空港から目指すブルゴーニュ地方のジュヴレ・シャンベルタン村までは350kmもあるのです。大阪から沼津あたりまでの距離。感謝の念を送りつつ、西尾号に身を委ねました。
しかも今回、私はフランスの地理が全然頭に入っていなかったことが判明。西尾さんと私の会話──。「フランスのすぐ東はスイスで、ジュネーブまでここからだと案外近いですよ」「えっ、東側はドイツとちゃいますのん?」「ドイツは北側です。北にドイツ、ルクセンブルク、ベルギーが隣接してるんです」「北側か…あっ、オランダも引っ付いてますよね?」「オランダは離れています」「へぇ!?」「あと、国境を接しているのは、東隣のイタリアと、南隣のスペインです」「え~ホンマ?」
半信半疑だった私でしたが、地図を見たら西尾さんの言う通りでした。この瞬間、西尾さんに全幅の信頼を抱き、食事休憩を取りながら、5時間近くかけてジュヴレ・シャンベルタン村へと到着。
ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)──。詳しく言うと、ブルゴーニュ(Bourgogne)地方、コート=ドール(Côte-d'or)県、ディジョン(Dijon)郡、ジュヴレ・シャンベルタン(Gevrey-Chambertin)小郡。
いずれにせよ、ワインが無かったら単なる田舎の村だったでしょうが、ワインのお蔭で世界に冠たる農村地帯となっているんですね。
宿泊先は、西尾さんの友人、ジョン=フィリップ・マルシャン(Jean-Philippe Marchand)さんのゲストハウス。
そうそう、着いた日の深夜に突然ヒューズが飛び、ブレーカーを探しても見当たらず、私は寒さと闘いながらシベリアで越冬しているような気分で一夜を過ごしました。翌朝、釋智美さんがパソコンとドライヤーを同時に使ってヒューズを飛ばしてしまったことが判明。しかも、本人は熟睡していた…ことだけは内緒にしておきましょう(^^ゞ
翌日からは、智美さんの友人で、ベトナム在住の建築士でいらっしゃる三角照夫(ミスミテルオ)さんが加わり、7人の関西人が団結して20日の本番に臨みます☆
左から、釋伸司、西尾容子、釋智美、桂米團治、三角照夫、西尾和浩。そして、撮影者の滝川裕久。
(次章に続く)