2015.02.26 《坂東三津五郎さん、逝去》

22日(日)、シャルル・ド・ゴール空港から飛行機に乗ろうとした時に、坂東三津五郎さんの訃報が入りました。

…淋しいです。

私が三津五郎さんに初めて出会ったのは、1980(昭和55)年のこと。まだ八十助と名乗っておられた頃です。もちろん私も小米朝時代。

「関西で歌舞伎を育てる会」が立ち上げられ、関西学院大学の古典芸能研究部で部員集めに勤しんでいた私は、「…育てる会」事務局の故・麻埜四郎さんに連れられて、道頓堀の中座の楽屋を訪ねたのです。

その時、インタビューをさせていただいたお相手は、先代市川海老蔵、先代片岡市蔵、澤村藤十郎、坂東八十助という花形揃い。

若輩の私を相手に、皆さんとても丁寧にインタビューに応じて下さいました。

なかでも三津五郎さんは、私と年齢が近いということもあってか、とても気さくに話して下さり、それ以降、私は二歳年上の三津五郎さんに対して「ひさっちゃん」と本名で呼ばせていただくようになりました。

一番の思い出は、2008年の大銀座落語祭で私が『勧進帳』の富樫を演じた時、その演技指導をしていただいたことです。

春風亭小朝さんプロデュースによる大銀座落語祭のフィナーレで噺家が歌舞伎の『勧進帳』に挑戦することになり、弁慶役の正蔵さんや義経役のいっ平(現・三平)くんらとともに、私は富樫を勤めることになりました。青山のご自宅で、懇切丁寧に稽古をつけて下さり、本番当日、新橋演舞場の舞台上で見得を切る我々の後ろに控え、黒子として付き添って下さったこと、一生忘れません。

踊りが上手で上品で、知識が豊富で、いつも親切に応対して下さった寿(ヒサシ)さん──。心よりご冥福をお祈り致します。

【追記】

三津五郎丈の訃報が入ったすぐ後に、デザイナーの高山久子さんの逝去も知りました。

大阪市中央区糸屋町2丁目と東京都中央区銀座5丁目に「Hisako Takayama」のアトリエを構え、常に気品ある華やかな衣裳を創り続けた久子さん。

2009年の暮れ、大阪・千日前のトリイホール(TORII HALL)で開いた「落語とブライダルショー」の感動は今も忘れられません。

三津五郎さんと同じく、癌と闘っておられたことは承知していたのですが…。もう一度、コラボレーションがしたかったです。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。