2015.03.09 《宇多喜代子さんとの対談》

今朝の朝刊はご覧になりましたか?

毎日新聞「おんなのしんぶん」の紙面の私のコラム「米團治の粋な噺で行きましょう」──。

0309①

今回のお相手は俳人の宇多喜代子(ウダキヨコ)さん!

山口県徳山市生まれの宇多さんに、のっけから「徳山市は周南市てな中途半端な名前になってしまいました。私は早く徳山市に戻すべきだと思うのですが、宇多さんはどう思われますか」と尋ねたところ、いたく賛同され、そのテンションをキープしたまま、対談は大いに盛り上がりました(^-^)/

1935(昭和10)年生まれ、今年で80歳になられます。とてもそうは思えぬ“若さ”をお持ちの宇多さんは、お父さまの仕事の関係で10代で大阪に住むことになり、おばあさまの紹介で遠山麦浪という和尚さんに俳句の手ほどきを受けることになります。35歳の時に桂信子門下となり、40代から「現代俳句」に参加。70歳で現代俳句協会の会長に就任。現在は特別顧問として多方面で活躍しておられます。

「俳句の世界はプロとアマの区別がないんです。誰でも参加できる。それがいい」とおっしゃる宇多さん。「関西に住んだから良かったのかも。肩書きや役職に左右されない人が集まる土地ですからね。俳諧の精神にぴったりです。しかも、関西には名刹が多く、四季折々の花鳥風月も充分味わえます」

「俳句と川柳の境目って分かりにくいですよね」という私の問いかけには、「自然観察が俳句、人間観察が川柳と思って下さい」と明快に答えて下さいました。

「喫茶店に入る時、俳句仲間は窓際に座って外の景色を眺めるのですが、川柳仲間は中程の席に座って入口のほうを眺めるのです。“今入ってきたカップル、あやしいぞ”てな具合に」「なるほど…人間観察ですね」「例えば、鶴彬の川柳に“手と足をもいだ丸太にしてかへし”というのがありますが、最後が“かへす”とならないところが川柳の特徴なんです。連用形で終わることにより、その後の人の行動を連想させるんです。それに対して、俳句は終止形や体言止め、或いは“かな”“けり”など詠嘆の助詞を使うことが多いですね。つまり、俳句は一枚の写真や絵画のように瞬間を捉えるんです。そして、読者はその絵(のような作品)から次第に想像を膨らませてゆく…両者とも奥の深い世界ですよ」

対談半ばで、私は俳句を作りたい衝動に駆られました(^-^ゞ

最後に宇多さんはこうおっしゃいました。「俳句には季語が不可欠ですが、歳時記は旧暦で考えられています。そして、それらは稲作に伴うものです。稲作の大切さや旧暦の精神を忘れたら、俳句も和歌も…ひいては日本文化が無くなってしまうでしょうね」

日頃から旧暦(太陰太陽暦)の重要性を力説している私。宇多さんに大きな拍手を送って、対談は終了(^人^)

詳しくは9日(月)の朝刊をご覧あれ☆☆☆

それからというもの、移りゆく季節を目と耳と鼻と心で感じようと、必死にもがいている私です(^o^ゞ

0309② 0309③

今年の旧正月は2月19日と遅かったため、今日でようやく旧1月19日。まだ梅が咲いています。……嗚呼、なかなか詠まれへん。ちょっと待って下さいね。桃が咲き出すまでには、なんとかしますf(^^;