2015.03.26 《父の葬儀》

0326①

25日(水)、父、桂米朝こと中川清は、大勢の人々に見送られながら黄泉の国へと旅立ちました☆☆☆

人間国宝、桂米朝に相応しい堂々たる葬儀を開くことができ、今は安堵と感謝の気持ちでいっぱいです。

19日(木)に息を引き取った父──。沢山の方が弔問に来て下さることを想定し、葬儀会場を吹田市桃山台の公益社「千里会館」に決め、当日に備えました。

23日(月)の夕方、父が長年暮らしてきた武庫之荘の自宅を出発。

0326②

米朝宅を離れる時、ご近所の方々が見送りに来て下さいました。その数、百人以上。ありがとうございました。

そして──。

0326③

しめやかに千里会館へと到着。

葬儀は「中川家」と「株式会社米朝事務所」と「米朝一門」による合同葬で開催。

私が喪主を、米朝事務所の田中秀武会長が葬儀委員長を、月亭可朝・桂ざこばのお二人が米朝一門の代表を勤めることになりました。

また、中川家は神道の家柄であるため、葬儀も神式で挙行。

尼崎市の富松神社・大島神社・素盞鳴神社の宮司さん達がお越しになり、怜人(楽奏)も加わっての立派な形で進行。

0326④

24日(火)の通夜祭・遷霊祭では、竹本住大夫さんと坂田藤十郎さんから、お心の籠った言葉を賜りました。

25日(水)の告別式(葬場祭)では、まず天皇陛下より弔意が下された旨が報告され、続いて5人のご来賓の方々から弔辞を賜りました。

大西信行さんからは米朝の来し方が感動的に語られ、近藤正臣さんからは後に遺された者の思いが、山田庄一さんからは米朝の交友関係の広さが、柳亭市馬さんからは米朝落語の深さが、そして上方落語協会代表の桂文枝会長からは落語界の先達としての大きさが切々と語られました。

心より御礼申し上げます。

二日間合わせて延べ2700人以上の方々が、弔問に訪れて下さいました。

改めて、父の偉大さを感じ、敬服している次第です。

とは言うものの、翌日からはまた落語会の連続──。感傷に浸っている余裕はありません。

こんな時、米朝の死生観が役立ちます。

「生きるも日常、死ぬも日常」

父は生前、常々「生きることも死ぬことも、そない大した違いはない」と申しておりました。

しかも、我々は噺家。どんな状況であれ、それを笑いに変えるのが仕事!

「どんな時でも普通にやったらええねん」という米朝の教えを胸に、今日も明るく元気に高座へ上がります。