2015.04.08 《米朝一門による追悼番組》
7日(火)はKTV(カンテレ)の桂米朝追悼番組の収録があり、米朝一門の噺家が数多く集まりました。
今回は、(株)米朝事務所と関西テレビによる合同企画となり、米朝事務所に所属している噺家の中で収録時に都合がつく者がスタジオに集結したという次第。
ちなみに、米朝一門全員が米朝事務所に所属しているわけではありません。噺家個々の活動方針により自由に選択できるのです。米朝の直弟子でも、月亭可朝・桂朝太郎・桂勢朝のお三人は所属事務所が違うため、今回は参加叶わず。
そうそう、最近いろんな方から「月亭可朝さんも米朝一門なのですか?」という質問を受けるのですが、その通りです。
米朝に内弟子として入門して修業した最初の噺家は枝雀(当時は小米)さんなのですが、それ以前に二人の門弟がおられました。
まずは、漫才や腹話術をされていた(先代)米紫さん。そして、(先代)林家染丸師の所から移って来られた月亭可朝さんです。もちろん当時の芸名は可朝ではなく、林家染奴でした。米朝門下に移籍され、桂小米朝という名前で活動されます。(私がまだ赤ん坊だった頃の話)。やがて、米朝の勧めもあり、上方で絶えていた亭号を復活すべく「月亭可朝」に改名し、今日に至るという次第。
したがって、(先代)米紫さん、枝雀さん亡き後──、内弟子から修業した門弟の筆頭は桂ざこばさんとなり、移籍組を含めた門弟の筆頭は月亭可朝さんとなるわけです。
米朝の葬儀(合同葬)の謝辞で、米朝事務所の田中秀武(マネージャー)取締役会長・月亭可朝・桂ざこば・私の四人が立礼したというのは、米朝事務所と米朝一門と中川家を代表する者が並んだということです。
お分かり頂けましたでしょうか?
落語会のマクラではもう少し深く喋る時もございますので、どうぞ寄席にお越しあれ(^∧^)
ともあれ、カンテレの収録はとても和やかに進行しました(^ー^)/ ちなみに、この日の収録場所は箕面のスタジオ「フレックス」。懐かしかった♪
関西テレビ(カンテレ)の「米朝追悼番組」は12日(日)16時~17時半に放送されます。但し、関西地区限定。ほかの地域の皆さん、ごめんなさいm(__)m
さて、この日はその収録の後、京都・東山の安井神社金比羅宮会館へと移動。「桂米朝落語研究会」に出演しました。
これは昭和41年に御大・米朝の肝煎りで始まり、二ヶ月に一度のペースで続けられ、今回で291回となる老舗の落語研鑽会。
米朝亡き後の初めての会となりました。
毎回、米二兄貴が出演者と演目を調整して下さるのですが、今回は2月末に決まったもの。たまたま、私は米朝がまだ噺家になる前の「中川清」という本名で書かれていた御年21歳の作品『淀の鯉』を演目に出していたのです。したがって今回、追善のような形で聴いていただくことになりました。満員の客席に笑いの渦を起こすことができ、ホッと一息(^-^)/
『時うどん』 弥っこ
『動物園』 弥太郎
『しびんの花活け』 歌之助
『宿屋町』 米二
『あくびの稽古』 まん我
『帰り俥』 雀喜
『淀の鯉』 米團治
『猫の忠信』 しん吉
ご来場ありがとうございました(^人^)
数えてみたところ、安井金比羅宮での落語会は来年の12月に50周年&第300回記念を迎えることになるようです☆☆☆
今は、縁切り・縁結びの神社として、かなりの参拝客が訪れるようになった安井の金比羅さん。落語研究会もますます栄えますように☆☆☆