2015.05.18 《「桂米朝一門会」 in 鈴鹿》

16日(土)、三重県鈴鹿市の鈴鹿市文化会館での落語会にて「桂米朝一門会」が開かれました。

これは鈴鹿市文化振興事業団主催による落語会シリーズ「けやき寄席」。今回で第11回を迎えます。

私は初めて呼んでいただきました。

新名神高速道路ができたお蔭で、クルマだと(渋滞がない限り)鈴鹿まで案外早く着きます。

今回、米朝一門は三台のクルマで移動。私は鳴物一式を積み、慶治朗の運転で、團治郎や三味線の高橋まきさんとともに出発。

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名神の草津P.A.でトイレ休憩した時に「新名神高速道路延伸予定図」なる看板を発見。

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それによると、来年度中に神戸と高槻が繋がり、平成35年までに名古屋方面にも新しいバイパスができ、新名神は“大動脈”として完成するのだとか。

「あと8年、元気でいような」と言い合いながら、鈴鹿I.C.を出た後、市街地へと向かいます。

これまでは、鈴鹿I.C.で降りたら必ず山の手を走り、椿大神社へ参拝に向かっておりました。市街地へ向かうのは初めて。

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山の手の雰囲気と文化会館界隈は随分と空気感が違うなぁと思いながら楽屋入りしたところ、芸能史研究家の前田憲司さんがお見えになり、鈴鹿の歴史をいろいろとお話し下さいました。なんと、前田さんは鈴鹿市在住だったのです☆

それによると、そもそも鈴鹿と言えば「鈴鹿山脈」や「鈴鹿峠」という言葉があるように内陸部を指していたそうです。しかし、第二次世界大戦の頃、浜手に海軍工廠ができたことから、海岸沿いも鈴鹿市に含まれるようになったのだとか。

ところが、それまで海岸沿いは伊勢街道であり、そこには高岡、神戸(カンベ)、玉垣、江島、白子(シロコ)、磯山…といった個性豊かな宿場町、漁師町が存在していたのだとか。

私が先ほど違和感を覚えたのは、鈴鹿市の皆さんが「ときの為政者が文化の差異の重要性を鑑みず、十把一絡げに合併すること」への不満を感じたのではなかったのかなと思った次第。

そこで、この日、私は『掛取り』を演じ、そこに鈴鹿市の地名や名産を織り込みました(^0_0^)

「サァ~きっと良くなるぞ」などとね(^o^ゞ

『狸の賽』 團治郎
『真田小僧』 米紫
『掛取り』 米團治
   〈中入〉
『動物園』 南天
『抜け雀』 南光

ご来場、心より御礼申し上げます(^人^)

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楽屋弁当も美味しくいただきました(^q^)

終演後は、團治郎の運転で大阪へ──。

鈴鹿市内を走行中、高橋まきさんが「ぼつ焼」なる看板を発見! これは何なのかと慶治朗に調べさせたところ、「ぼつというのは豚肉の美味しいハラミ部分で、鈴鹿の名物である」ことが判明!!

鈴鹿を学んだ一日となりました(^ー^) 涼風(スズカゼ)が吹く頃に、またおじゃましますね♪

そうそう、前田さんから矢橋の精肉店「まと場」のお肉を頂きました(^∧^)

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只今、鈴鹿の味を堪能しています(^q^)