2015.05.22 《阿波から沼島へ“国産みの地”を巡る旅【第3章】》
“国産みの地”を巡る旅──☆ 徳島七福神めぐりを済ませた我々一行は、淡路島の南側に位置する小さな離島を目指します。
沼島と書いて「ぬしま」と読みます。
神話によると、イザナギ・イザナミが地上界に降り立ち、天(アメ)の沼矛(ヌボコ)で海をかき混ぜたら、淡路島・伊予之二名島…と日本列島が生まれていったとされる、いわゆる“国産みの島”!
私はこれまで兵庫県南あわじ市の沼島に行ったことが無かったのです。“国産みの島”初体験(^0_0^)
徳島市から鳴門市を通過し、大鳴門橋を渡り、淡路島最南端の土生港の駐車場にクルマを預けて、沼島汽船の渡し船で沼島に上陸!
まずは、島を護る弁財天神社に参拝し、辺りを散策。
いやぁ、沼島はとても長閑(ノドカ)な空気に包まれていました。
ベンチにすわって談笑する人達。犬と散歩しているおばさん。海を見ながらタバコを燻らせているおじさん。誰とでも自然とお近づきになります。皆、口々に「今月3日か4日の春祭りに来たらよかったのに。御輿が海に入って、えらい盛り上がったで」と話してくれました。
この日は木村屋旅館に宿泊──。
さすが沼島! 烏賊、鮃、鯛、鱧、鰆…どれもこれも一味違います(^o^)/
暮れなずむ漁港の風景に心癒され──、
翌朝──。
漁師さんの船「日進丸」で、海からの沼島観光を楽しみました(^0_0^)
ここは中央構造線が隆起してできた島だそうで、奇抜な形をした岩礁が点在しています。地元の人は「バエ」と呼んでおられるのだとか。中には約1億年前の「鞘形褶曲」も見られるのです。
約一時間の島めぐりを終えた我々は神宮寺を参拝。
そこの住職、中川宜昭さんが沼島の歴史をいろいろとお話し下さいました。
沼島の船頭たちは「水軍」と呼ばれるほどの腕前を持っていて、北前船の航行にも源平合戦の時にも携わっていたこと。沼島の石は古来より重宝がられており、大和朝廷の古墳にも使用されていたこと等々。
そして、「神話の“国産み”の記述は、海洋を自在に航行する技術を持っていればこそ書ける内容でしょ」とおっしゃいました。
我々が話の一つ一つに食いついていくので、ご住職は「あんたら面白いなぁ。よかったらうちの中庭を見て行きなさい」と、美しい庭に案内して下さいました。
石庭の意味もお話し下さり、挙げ句には沼島に伝わる謎の出土品まで出して下さることに…(^∧^)
司馬遼太郎さんが生前、沼島を訪ねられたことを記念して作られた石碑。
“鞘形褶曲”を誰もが触れるような展示スタイルにしたのも、中川住職のアイデア。
「いろんな沼島の歴史を教えて下さり、ありがとうございました」と、約1時間にわたるレクチャーの御礼を述べた時、雨が降り出しました。
「あ、龍神さんが見送りの雨を降らしはった」という愛ちゃんの言葉で、我々は帰途に就くことに──。
“福”繋がりで、いろんなご縁をいただいた二泊三日☆☆☆
あっ、おのころ神社や沼島八幡宮に参拝しそびれてしもた(^o^ゞ 近いうちに、また来ますね↑↑↑