2015.08.07 《上方風流の重鎮を偲ぶ会》

この夏、父・米朝のお仲間が二人、相次いで他界されました。

まずは、文楽の竹本源大夫さん。

若い頃から竹本織大夫という名前で目覚ましい活躍を遂げられ、竹本文字大夫さんと人気を二分。そしてそれぞれ竹本綱大夫、竹本住大夫という名跡を襲名し、文楽の世界の一翼を担って来られました。

しかし、綱大夫から源大夫を襲名してほどなく、体調を崩され、先月20日、帰らぬ人に…。(享年83歳)

常に、私の父を「兄さん!」と慕って下さり、事ある毎に酒を酌み交わしながら、芸談に興じておられたお師匠さん。私もよくお相伴させていただきました。

そして、もう一人は俳優の加藤武さん。

劇団「文学座」の代表を勤めて来られた加藤武さんは、米朝と同じ正岡容(マサオカ・イルル)門下でもあられました。

米朝の記念の会にはスケジュールが合う限り舞台にお出まし下さいました。私には必ずクルマの話をして下さいました。小回りが利く自動車がお好きで、80歳を過ぎてからも、ご自身でハンドルを握っておられました。

先月31日、スポーツ・ジムで急死…。加藤さんらしい最期なのかもしれません。(享年86歳)

いつも父のことを気にかけて下さっていたお二人のご冥福を心よりお祈り申し上げます☆

年齢的に仕方のないことですが、このところ父の知人が相次いで鬼籍に入られます。

実は、評論家の山田庄一さんから連絡が入り、「次々と仲間が逝ってしもたさかい、一遍、五人を同時に偲ぶ会をしませんか」と。

その五人とは、片山慶次郎、茂山千之丞、茂山千作、片山幽雪、桂米朝。

いずれも、古典芸能の世界の重鎮。そして、その多くが上方風流(カミガタブリ)の同人です。

「風流」と書いて「ふり」と読ませる上方風流(カミガタブリ)というサークルが出来たのは、昭和38年のこと──。東京オリンピックの前年です。日本が高度経済成長時代を歩み出した頃、上方(京都・大阪、及びその周辺)の芸能界…すなわち、能・狂言・歌舞伎・文楽・舞踊・落語・漫才に至る30代の舞台人が団結して、新しい発信をすべく誕生したのが、上方風流(カミガタブリ)。謂わば、芸能版JC(青年会議所)!

皆で芝居を上演したり、エッセイを書いて機関誌を発行したり、酒を飲んで芸談に勤しんだり…。それはそれは楽しい集いだったそうです。

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機関誌は第8号まで刊行。今や古典芸能ファンにとって垂涎の書☆

結成当時のメンバーは次の通り。(*印は物故者)

[能楽]片山慶次郎*、山本真義*、大倉長十郎*。
[文楽]竹本文字大夫(現・住大夫)、竹本織大夫(源大夫)*、竹澤団六(現・鶴澤寛治)、吉田文雀、吉田簑助。
[狂言]茂山千之丞*。
[演劇]中村扇雀(現・坂田藤十郎)、藤山寛美*、石浜祐次郎*、大村崑。
[大衆芸能]桂米朝*、夢路いとし*、喜味こいし*。
[舞踊]吉村雄輝*、山村糸*、山村楽正*、花柳有洸*、花柳雅人(現・飛鳥峯王)。
[評論]山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎*。

錚々たる顔ぶれを束ねていたのが、山田庄一さんというわけ。

山田さんは今年90歳!    ますます元気な御仁です。幹事を勤める同じく評論家の権藤芳一さんも85歳!    若々しい長老お二人が呼びかけ人となって、上方の芸能界の亡き重鎮を偲ぶ会が、京都・祇園の料亭「美濃幸」で開かれました。

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五人の家族や親しい関係者が集まって、賑やかに故人を偲びました。

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美味しい酒と美味しい料理、そして貴重な話の数々を堪能!

記憶の許容量がオーバーし、今、思い出すのは…。

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今年の初物としてだされた無花果と二十世紀だけ(^0^;)

はて、私とともにかなり呑んでた片山九郎右衛門さんは、あの後、無事に稽古ができたのかしらん(^-^;

私はその後、若々しい長老お二人に連れられて、お茶屋「いまむら」へ…σ(^◇^;)    親爺世代の底力を垣間見た次第。

実は私、この日、宴会に先駆けて、八坂神社にお詣りしてたんです。

真夏の八坂さん──。ハンカチで汗を拭いつつ、外国人団体観光客の狭間を縫いながら、なんとか心静かに参拝することが叶いました(^人^)

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素戔鳴尊、櫛稲田姫命、八柱御子神ほか沢山の神様が祭られている本殿。

もちろん境内には沢山の摂社末社がありまして──。

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猿田彦命・宇受女命が祭られている大田社。

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宗像三女神(多岐理毘売命・多岐津比売命・市杵島比売命)が祭られている美御前社。

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芸能の神様たちにご挨拶をして、夏の“元気”をいただいた次第(^人^)