2015.10.21 《千里山神社 秋の大祭》
20日(火)、皇后陛下はこの日、81歳のお誕生日を迎えられました。誠に、おめでたいことでございます。幾久しく健康であられますことを切にお祈り致します☆☆☆
実は、10月20日は我が地元、千里山神社の秋の大祭の日でもあるのです。
私が吹田市千里山に越して来て、はや14年──。家から歩いてすぐの所にある千里山神社には事ある毎にお詣りしているのですが、毎年春と秋に行われる例大祭にはこれまで仕事の都合などで一度も伺えずにおりました。
この日はうまい具合に身体が空き、初めて参加した次第(´▽`)ノ
爽やかな秋晴れの中、千里山神社を目指し、ご近所の方々がぞろぞろと歩いて来られます。
なだらかな千里丘陵の中程に位置する標高わずか71.8mの千里山。その頂に小さな祠が存在します。
普段は閑散とした無人の神社なのですが、この日は泉殿宮から祭司が来られ、立派な大祭となりました(^-^)/
祝詞奏上、そして巫女舞の後、全員で玉串奉奠☆
吹田市千三地区連合自治会長の藤木祐輔さん、ご子息の栄亮さんとともに、宮司さんを囲んでのフォーショット( ^-^)(^o^)(^-^)(^-^*)
そこで、千里山の歴史を色々とうかがいました。
もともと、この地は北大阪電気鉄道(現・阪急電鉄千里線)の開業に合わせ、1920(大正9)年に大阪住宅経営株式会社が開発した所。そして大正15年、当時の矢野慶太郎専務が千里山の氏神として伏見稲荷神社から倉稲魂神(ウガノミタマノカミ)を勧請し、同時に春姫大明神(白龍神)も併せ祀ったのが千里山神社の始まりなのだそうです。
その頃、漫才の千歳家今男師匠が千里山神社を篤く信奉されたことから、ヨシモトの先輩諸氏がよくここを訪れるようになったのだとか。
吉本興業の創業者、吉本せい会長が寄贈したローソク棚もあります。
お社の裏手には貯水タンクがあり、千里山の上水道はすべてここから供給されているんだそうです。
また、大正12年の関東大震災の際、東京から逃れて来て千里山に住んだ人がかなりおられ、やがて東京へ戻ってからも千里山を思い出すために結成した「千里山会」という集まりがあり、今も続いているんだとか。
この住宅地が誕生した時代に思いを馳せることができました( ^-^)/
自分が住んでる土地の歴史を知るというのは、大切なことですね。
千里の道も…梅新東から(^◇^;)