2016.08.14 《出雲国の神社あれこれ》
太古において外交の表玄関となっていた出雲国の神社には、私、昔から事ある毎によく訪れたものです。
高校時代に初めて行った一人旅も出雲への旅でした。島根半島の西の端にある日御碕(ヒノミサキ)を歩いている時に、数学の藤原先生に声をかけられ、ド肝を抜いたことを思い出します。
10年ほど前には、出雲の成り立ちを探るべく、自分の回りたい順に神社を参拝したこともありました。
神魂神社~真名井神社~熊野大社~八重垣神社~須我神社~須佐神社~出雲(杵築)大社~日御碕神社というふうに。
そして、その時、世の中のあらゆることにおいて、間口の大きさばかりに囚われてはいけないなということを実感しました。
例えば、出雲大社で言えば、本殿よりも…むしろ本殿裏でひっそり佇む素鵞社にこそ良い氣が満ちていることに気づき、八重垣神社で言えば、境内を歩くだけで素盞鳴尊と櫛稲田姫の御魂に心を込めて奉賛されている神職の方々のお気持ちが伝わってきたという嬉しさなどなど☆
また、日御碕神社では、下の本社(天照大御神)の屋根が男千木で、上の本社(神素盞鳴尊)の屋根が女千木になっていたので、その理由を社務所で訊いたら「お伊勢さんが日の出の社であるのに対し、こちらは日の入の社。陰陽のバランスをとるために、千木を逆にしているのです」と答えて下さったことが大きな発見となった次第。その時、「出雲では日御碕神社以外にアマテラスを主祭神として祀っている所は無い」ことも教えて下さいました。
今回は、これまで行ったことの無かった神社へと参拝──。
神社の近くには、イザナギが黄泉の国の変わり果てたイザナミの姿に驚き、逃げて帰ってきたという神話の舞台──黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)もありました。
次は、松江市鹿島町にある佐太神社へと参拝。
ちょうど社殿の修復中でしたが、境内は穏やかな空気に包まれていました。
続いては、島根半島の東端、松江市美保関町にある美保神社へと足をのばします。
三穂津姫命は大国主命の(沢山おられる)后の中の一柱。事代主命は大国主命と神屋楯比売神の間に生まれた御子神。
韓竈神社はスサノヲが新羅から「岩船」に乗ってやってきたと伝えられる磐座(イワクラ)がある所。
そこへ行くには、かなりの急勾配を歩いて登らねばなりません。
岩の隙間を潜り抜けると、一瞬にして神氣に満ち溢れた世界へと突入☆☆☆
いやぁ、やはり出雲は面白い!