2016.08.25 《10年ぶりの函館 ── 桂米團治独演会》

23日(火)、北海道函館市で私の独演会が開かれました。

はこだて音楽鑑賞協会主催による会員様限定の「桂米團治独演会」。

前回の開催は2006年でしたので、まだ小米朝時代のこと。今回は実に10年ぶりの函館訪問です。

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伊丹空港から一路、函館空港へ──。

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台風一過で、綺麗に晴れ上がった空が、我々を満面の笑みで迎えてくれました(^^)/

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大森浜を優雅に飛ぶカモメ!

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この日の会場は五稜郭近くの函館市芸術ホール。

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函館は幕末から明治維新にかけての日本を形づくる重要な役目を担った所。欧米列強が蠢く中、徳川幕府や勤皇佐幕の志士達が日本の威信として建てたのが五稜郭。

1853(嘉永6)年にマシュー・ぺリーを乗せたアメリカ合衆国海軍東インド艦隊…いわゆる「黒船」がやってきて、1854(安政元)年の日米和親条約締結後、幕府は以前あった箱館奉行を再び置き、箱館港を外交の拠点としました。江戸から遠ざけたかったのと、北方からの脅威に対抗する必要があったのでしょうね。

ちなみに、明治維新までは「函館」は「箱館」と表記されていたのだとか。

1864(元治元)年に五稜郭が竣工するも、やがて榎本武揚率いる佐幕派の志士達は新政府軍率いる倒幕派の攻撃に敢えなく敗北。日本は新しい時代を迎えることになるのですが、今回、私は近代史における函館の重要性を再認識しました。

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高座のマクラでも、産業が札幌に一局集中している現状を指摘し、「新幹線が函館まで繋がったと言うけれど、新函館北斗駅は函館市内ではなく北斗市だし、しかもレールはすでに札幌のほうを向いてますよ。これじゃ、東室蘭駅を羨望する室蘭駅周辺の人々の心境とおんなじや」と言って、賛同を得た次第(^^;)

温かいお客様に支えられ、皆よくうけました

『子ほめ』 慶治朗
『地獄八景亡者戯』 米團治
   〈中入〉
『親子酒』 紅雀
『子は鎹』 米團治

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スタッフの皆様のおもてなしにも感謝(^人^)

終演後、函館山ロープーウェーが午後10時まで動いていると聞いた私は、「今日は夜景が綺麗やろなぁ。是非、見たい!」と我が儘を言い出し、スタッフの方々の運転で、函館山ロープーウェー乗り場へと急行。

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絶景とは正にこのこと☆

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「夏場でここまで綺麗に見えるのは珍しい」という地元の人の話し声も聞こえます。

実は、山頂は夜景見物の人、人、人で溢れ返っていたのです。

我々一行は、米團治・紅雀・慶治朗、そこへ三味線の公美ちゃんと粟津マネージャー。初めは「こんな団体がロープーウェーに乗ったら、アベックは興ざめやろなぁ」と言うてましたが、なんのなんの、国際色豊かな観光客で大賑わいでした(^-^;)

下山してから、酒宴の開始☆

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「王将寿し」で北海道の魚貝を堪能しました!

そして、熟睡☆

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翌朝は私以外のメンバーは全員、路面電車に乗って、地元で人気の谷地頭(ヤチガシラ)温泉へ行ったとのこと。

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いやぁ、皆、若い!

泉質が良く、めっちゃ温もったそうです。

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爽やかな函館をあとにし──。

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サウナのような大阪へ戻ってきました。立ってるだけで温もります(^^;)