2017.09.12 《 十四代目 今泉今右衛門さんとの対談 》

横浜にぎわい座での独演会を終えた私──。

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翌9日(土)は新横浜駅から始発ののぞみ号に乗車。新大阪駅からは自分のクルマで兵庫県篠山市へと向かいます。

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1999年4月1日に多紀郡であった篠山町(ササヤマチョウ)・今田町(コンダチョウ)・丹南町(タンナンチョウ)・西紀町(ニシキチョウ)が合併して誕生した篠山市(ササヤマシ)──。酒米(山田錦)や黒豆をはじめとする数々の農作物に恵まれる美しい“農業王国”です。

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「立杭焼(タチクイヤキ)」で有名な今田町の山麓にある兵庫陶芸美術館──。

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只今、「今右衛門の色鍋島」と題する展覧会の真っ最中☆ ここで私、今泉今右衛門さんとの対談をすることになっているのです。

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私は「鍋島焼」「色鍋島」に関する知識が乏しかったもので、美術館に着くなり、学芸員のマルテル坂本牧子さんに展示室を案内していただきました。

いやぁ、美しい! さすが「色鍋島」と言われるだけあって、絵付けの色が鮮やか! でも、決して過美ではない。上品な磁器の数々を目の当たりにし、近世の南蛮貿易の頃に思いを馳せることができました。

17~18世紀の西欧におけるシノアズリー…すなわち、中国や日本など東洋の磁器ブームの中で生まれた肥前磁器(有田焼、伊万里焼)。たまたま、有田の山で磁器に相応しい石があるのが見つかり、鍋島藩の庇護のもと、美しい皿や花器の数々を徳川幕府に献上したことから、ますます芸術性が高まったのだとか。でも、明治維新の廃藩置県によって、鍋島焼は存亡の危機に直面します。それを救ったのが十代目以降の今右衛門さんでした。伝統を絶やすことなく独自性を追求し、絵付けに「吹墨」「薄墨」「墨はじき」といった手法を取り入れ、ほかでは真似のできぬ高みへと成長した色鍋島──。

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初めてお目にかかる今泉家十四代当主の今泉今右衛門さんは、1962(昭和37)年生まれ。私より4つ年下でいらっしゃいます。「…老けて見えますね」が私の発した最初の言葉。失礼(^-^;)

でも、今から三年前の51歳の時に人間国宝に認定されたのです。陶芸界では最年少なのだとか!

いやぁ、素晴らしい☆ 何より、とても温厚な方! 穏やかな口調でお話しになる物腰に、こちらの心も和みます。

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対談はとても楽しく進行しました( ^-^)(^o^ )

でも途中、私が「不易と流行の見極めが大切ですね」と言った時、今右衛門さんの「じゃあ、何が不易なのかと訊かれると、言葉では説明しにくいものですよね」との切り返しには畏れ入りました。しかし、それでへこたれる私ではありません。色鍋島における不易を私なり答えると、今度は今右衛門さんが「なるほど」と唸られました。

土を捏ねるところから始める陶器と違って、磁器は石をすり潰すところから始めるもの。

奥の深い話をうかがうことができ、大きな学びとなりました。私も自分の器を磨くことから始めよう(^◇^;)

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さて、対談後、私は地元・吹田での落語会に出演すべく、丹波篠山をあとにし、大阪へと向かいました(^^)/