2019.03.25 《3月のパーティーや慰問など》
今月もいろんなことがあり、思い出多き月となりそうです。よしなしごとを心の赴くままに綴りました。
▼「きん枝改め、四代 桂小文枝襲名披露パーティー」
今月12日にNGK(なんばグランド花月)で桂小文枝襲名披露公演の初日の幕が開きましたが、それに先駆け、先月4日に大阪・中之島のリーガロイヤルホテルで襲名を祝うパーティーが執り行われました。
奇しくも、昨年末に開いた私の還暦パーティーと同じ山楽の間!
「お兄さん、おめでとうございます」
落語会の模様は、次のブログで!
▼「神奈川フィルハーモニーとのお稽古の合間に」
今月6日と7日に開かれた神奈川フィルハーモニー管弦楽団の皆さんとの『兵士の物語』での共演の合間に───。私、横浜みなとみらいの遊園地で思いっきり遊びました☆
というのも、滞在先の目の前に遊園地があって、コースターが走る度に「キャー」という歓声が聞こえてくるねんもん。
ジェットコースター、急流すべり、シューティングライダーの三つに乗り、しばし童心に返りました。
コンサートの模様は、次のブログで!
▼「刑務所慰問」
16日(土)、本当に久しぶりに芸人として刑務所の慰問に行きました。実に30年ぶりかな? 今回の場所は山口県美祢市です。
話の発端は、お好み焼き専門店「千房」の代表取締役会長でいらっしゃる中井正嗣さん。中井さんはかねてより受刑者の就労推進に尽力され、ご自身の会社にも沢山受け入れて来られた方。
今回は初犯の人が殆んどの……つまりは社会復帰が大いに期待できる方々の施設での演芸会にお声掛けをいただいた次第。
我が国では十年以上前から官民共同で運営する施設が数ヶ所作られており、法務局だけでなく地方自治体や民間企業の協力を仰ぎ、受刑者が出所後すぐに就職できるようになるためのさまざまな訓練を受けられる仕組みになっているのとのこと。高い塀や鉄格子はなく(尤も最新の監視システムはしっかり備わっているそうですが)、名称も「美祢社会復帰促進センター」となっています。「刑務所長」ではなく「センター長」。
今回の顔ぶれは、ロック歌手のBOROさん、ヨシモトの漫才「マルセイユ」の二人、そして私の三組。ヨシモトの(山口県に)住みます芸人のどさけん君が進行役を勤めます。
ここには女子棟と男子棟の二つがあり、それぞれで公演を行いました。
民間企業の方々の献身的な働きには本当に頭が下がる思い。株式会社「小学館集英社プロジェクト」のスタッフの皆様にも大変お世話になりました。これからもなお一層のご尽力をお願い申し上げます。
▼「四度目の桂米朝の命日」
19日(土)は四回目の命日でした。父が他界して、もう四年になるんですね。
実は、この日、米朝の同い年の親友でいらっしゃった麺処「美々卯」の薩摩卯一さんのお通夜があったのです。
薩摩さんは米朝が亡くなってからも私の独演会に足繁く通って下さり、昨年暮れの私の還暦パーティーにも素晴らしい言葉を贈って下さったばかり。亡くなる直前まで蕎麦を食べながら米朝のCDを聴いておられたそうです。94歳の大往生、ご冥福をお祈り致します。
▼「尼崎城、完成」
今月29日(金)、尼崎城が開城いたします!
私が育った兵庫県尼崎市は、かねてより「公害の街」やとか「物騒な街」やとか、「兵庫県やのに市外局番が尼だけ06……あら大阪の一部やろ」などとボロクソに言われてきましたが、歴史的に尼崎藩はとても重要な拠点にあり、その領地は西宮や芦屋はもとより神戸の須磨にまで及んでいたのですよ。近世に入って、いち早く「大阪城の西の守り」として尼崎城が建てられたのです。明治維新の廃城令に屈して、城は潰されてしまったのですが、家電量販店のエディオン(旧 ミドリ電化)の創業者である安保詮(アボ・アキラ)さんが「自分を育ててくれた尼崎市に恩返しを」と莫大な私財を寄付されて、この度、かつての尼崎城が再建されたのです! 再建とは言え、内装は現代に合わせた作りとなっておりますが、外観は限りなく当時のままに近づけたとのこと。
なんと皆さん、私、場内のVR(ヴァ-チャル・リアリティー)シアターで「よみがえる尼崎城」のナレーションを担当しているのです。自分で言うのもなんですが、幅10メートルのスクリーンで観る映像は迫力満点!
詳しくは、29日以降、ご自分の目でお確かめを。尼崎城は阪神尼崎駅を南東へ徒歩3分の所にあります。