2021.05.02 《「ヤマトの源流に触れる旅」序章》

私は無類の古代史好き。我が家は古代史関係の書籍で溢れています。ざっくり数えても優に200冊は超えるでしょう。恥ずかしながら、落語の本より多いです(^^;)

なぜ古代史にのめり込んでいったかという理由の一つに、真実が有耶無耶にされていることが挙げられます。殊に、平城京以前。学校で「645年 大化の改新」という年号はイヤというほど刷り込まれるのですが、天智天皇と天武天皇との関係性がイマイチ理解できず、蘇我氏と物部氏の関係性もよく分からぬまま、授業が終わってしまうことの繰り返しでした。仏教推進派の蘇我氏はそれに否定的な物部氏と戦い、聖徳太子は蘇我氏に加担して勝利をもたらしたのに、蘇我氏も太子一族も抹殺され、気づけば藤原氏が天皇家の外戚となって政権の中枢に入ることになるのです。そして、いつしか蘇我氏は「悪の権化」、聖徳太子は「伝説の英雄」というレッテルが貼られることに…。

ホンマに蘇我氏と物部氏は敵対してたん? あれほど崇められた太子の末裔が誰一人として歴史に現れないってどういうこと?

これらの疑問に鋭くメスを入れ、大胆な説を唱えてこられたのが、関裕二(せき・ゆうじ)さん。1991年に『聖徳太子は蘇我入鹿である』という本を出版して以来、常に俯瞰的な視野で多岐にわたる古代史の謎の解明に挑み続けておられます。著書の数たるや、実に膨大! いつの頃からか、私が買う古代史本は関裕二著の割合が増えていっておりました。私の買い方は決して目的を持って買いに行くというスタイルではありません。梅田の紀伊國屋書店へふらっと入り、立ち読みをしているうちに興味の湧いたものを購入するということの繰り返し。気づけば、関裕二本がダントツ一位に…。

古代史の謎の解明に向けての関裕二さんの手法は明快です。文献学と考古学、どちらか一辺倒に偏るのではなく、双方を整合して真実に迫る方法。『古事記』や『先代旧事本紀』、或いは『三国志』や『後漢書』と比較したり、新たな考古学的発見と照らし合わせることにより、例えば『日本書紀』の改竄部分を炙り出していくのです。時の権力者が自分に不都合な文章を改竄するやり方って、今の官僚安住構造と変わりませんね。歴史を知れば、未来への指針を定めやすい!

客観的な目で古代史を見つめることにより、「物部氏は古くからの大地主であった」「蘇我氏は地方創生を実践した豪族だった」「蘇我氏と物部氏は敵対関係にあるというよりは協力関係にあった」「ヤマト建国はさまざまな豪族の合議制でなされていった」ことが明らかになってきました。いつの世も為政者は、悲劇のヒーローが怨霊となることを恐れ、お社を立てて大いに奉ります。菅原道真の天神さんのように…。したがって、神社仏閣に伝わる伝承や、神話と歴史的事実との関係を照合することにより、日本建国の真相(深層)に迫ることができる! これが関裕二式古代史解明法なのです。

そんな関さんに出逢うことが叶いました。きっかけを作って下さったのは、やはり長年にわたり古代史を探究しておられる伴とし子さん。丹後半島出身の彼女は「丹羽・丹後・但馬・若狭を包括するタニハがヤマト建国に大いに関わったのだ」という信念のもと、文筆活動や講演活動をされている方で、一昨年、私のKBS京都ラジオの番組にお出で下さったのが縁となり、昨年、天橋立ホテルでの「古代丹羽歴史研究所 第6回研究会」に私を呼んで下さり、そこで私は関裕二さん・伴とし子さんの講演を聴き、最後に三人で即興トークをすることになったという次第。

http://kodai.holy.jp/blog2020.html

以来、全国各地の気になる神社仏閣を一緒に参拝するようになりました。伊吹山、長命寺、日牟礼八幡宮、東大寺正月堂…。

今月の5日と12日には関裕二さんがKBS京都ラジオの「本日、米團治日和。」に登場なさいます。どうぞ皆様、ヤマト建国の謎の解明に向けた旅に、ご期待下さい💫 そして、ご意見・ご感想をどんどんお寄せ下さい✨