2022.07.24 《落語『増上寺起源一説』上演に至るまでの経緯》
この夏、直木賞でお馴染みの作家、直木三十五の小説『増上寺起原一説』を落語にしました。
きっかけは、いつも武庫之荘の米朝邸で資料整理をして下さっている姫路市在住の落語研究家、小澤紘司さんの一言でした。「米團治さん、米朝師匠の直木三十五の小説についてのエッセイが出てきましたよ」と見せられたのは、1979(昭和54)年に弘文出版から出された季刊誌「落語」の創刊2号。この中に「直木三十五の落語」というタイトルのエッセイがあったのです。その文章には「直木三十五の小説『増上寺起原一説』の傍らには新作落語と記されており、そう思って読むとユーモアがあり、なるほど落語になるなぁ」と…。
実は、季刊誌「落語」の創刊号と創刊2号の二冊にのみ「桂米朝の特別寄稿」が掲載されていたのです。ちなみに創刊号には「桃川燕雄の憶い出」というタイトルでの東京の講釈師に纏わる執筆が掲載されています。私は噺家になって二年目の頃。当然、二冊とも購入し、自分の本棚にも大事にしまっていたのですが、内容はすっかり忘れていました。小澤さんが「米朝師匠も書いとってですし、これ落語にされたらどうですか」と仰るので、「ほな、そうしましょか」と直感だけで返事した次第(^◇^;)
口演許可をいただくべく、大阪・空掘にある直木三十五記念館を訪ねたら、なんと『増上寺起原一説』と米朝のエッセイが並べて飾られているではないかいな! こらもう、やらなしゃあない。
しかし、読み物として書かれた「落語」を高座で演じるには台本作りにかなりの作業が必要です。数年前から春風亭小朝さんが菊池寛の小説を落語にされておられますが、色々とご苦労も多いと思います。もちろん、それ以上の楽しみがおありでしょうが( ´ ▽ ` )
『増上寺起原一説』の場合、徳川二代将軍秀忠の時代の話なので、東京・芝の増上寺へ参拝に行きました。ちょうど、本堂裏手の徳川将軍家墓所が一般公開されており、ボランティアガイドさんからさまざまな話を聞くことができ、大きな学びとなりました。かつては本堂の南側に秀忠公の大きな御廟(台徳院殿霊廟)があり、江戸の庶民から大いに慕われていたこと。ところが、先の大戦の東京大空襲で焼け落ちてしまったこと。その結果、今では正室だった崇源院(お江の方)のお墓に合祀されていること等々、いろんなことがわかりました。生前も奥方に頭が上がらなかった秀忠公は、死後も頭が上がらないままなのか(^◇^;)
落語での演題としては「起原」の字体を「起源」に改め、『増上寺起源一説』として演じました。上方落語らしく、ハメモノをふんだんに取り入れ、華やかにお届けしたつもりです。出雲の阿国の舞の件りでは、高橋まきさんと浅野美希さんによる三味線、桂しん吉くんによる笛の演奏に助けられました。☆感謝☆
まずは大阪と東京で披露させていただきましたが、また機会があれば演じますので、どうぞよろしくお願い致します☆☆☆