2022.11.6 《円楽さんを偲ぶ》
六代目三遊亭円楽さんが他界。享年72歳。四年前に肺癌と診断され、翌年には脳腫瘍も見つかり、今年になってからは脳梗塞も併発され、ついに今年の9月30日に帰らぬ人となりました。
日本テレビの長寿番組『笑点』により「腹黒」のイメージが定着しましたが、なんのなんの、円楽さんほど面倒見の良いお兄ィさんは中々ほかに居ないのではないでしょうか。私はちょっと思い当たりません。私がまだ小米朝だった頃から、会えば必ずニコニコと話しかけてきて下さいました。落語はもちろんのこと、落語以外でもお互い、いろんな分野に興味があるほうなので、経済の話や古代史の話、政治の話や節税の話、英会話習得術などなど、さまざまな分野の話題を投げかけるのですが、いつも私より遥か上の知識をお持ちで、教えられることばかりでした。
そうそう、円楽お兄さまは青山学院大学出身ということもあり、おぼっちゃまのイメージを持つ人が多いのですが、なんのなんの、実は幼少期から少年時代にかけて極貧生活をしておられたのです。おそらく、その体験が「苦労を苦労と思わぬ」強い精神力と「人の喜ぶ顔を見るのが幸せ」という優しい人間性をもたらしたのだと思います。
それが大きく具現化したのが「博多•天神落語まつり」。きっかけは春風亭小朝さん発案による「大銀座落語祭」でした。銀座のホールを殆んど借り切り、東京だけでなく上方の噺家も呼んで、同じ時間帯に銀座のいろんな場所で多種多様な落語会を開くという企画。少し危ない言い方をするなら、同時多発落語会。これが大当たり! 大いに盛り上がったのですが、初めから五年で終わるという約束でした。「このまま終わっちゃ、もったいないよ」と旗手に立ったのが円楽さん! 「江戸でも上方でもない所で落語を育てようよ」と目を付けたのが、福岡でした。ご本人が「せめて三年続けられたらなぁ」と仰っていたのが、あれよあれよと昨年、十五周年を迎え、博多の秋の風物詩にまで成長しました。
ところが今年、円楽さんの体調悪化。十六年目の公演を迎える約ひと月前に突然の逝去。プロデューサー不在のままの開催に、主催者はもちろん、出演者も「どうしたものか」と不安を抱えながら九州入りしたのですが、そんな心配どこ吹く風。お客様の万雷の拍手で初日の幕が開きました。もちろん円楽さんの死は悲しいことなのですが、お客様も出演者もそれを分かった上で、「いつも通りに楽しもう。それが円楽さんへの最高の追善になるのだ」と言わんばかりの温かい空気に満ちたのです。「まぁ〜るく集って楽しもう。これぞ円楽プロデュース」と言わんばかりに!
円楽お兄さまとの思い出は色々ありすぎて一口には語り尽くせませんが、一つ驚いたことを挙げるなら、八年前のバリ島への家族旅行です。女房と二人の子供を連れての初めての海外旅行。(その後、どこへも行ってないので最初で最後になるやもしれませんが)私自身、バリは初めてだったので、ドギマギしながら入国審査を通過した時、ケータイが鳴り出したのです。「はい、もしもし」と出たら、「円楽です。こないだは博多天神ありがとう。楽しかったね」と仰るので、「あ、実は僕、今、バリ島に居るんです」と言えば、「えっ、僕も今、バリだよ」「えっ、なんで⁉︎」「いや、こっちが訊きたいよ。なんで?」
円楽さんは当時、年に一度はバリ島へ休暇に行かれていたそうなのです。この時も奥様と数日バリで過ごされるとのこと。「よければ、こっちにおいで。一緒にご飯食べよ!」とお誘いいただいたのです。食事の後は、お知り合いの方のプール付きのコテージに連れて行って下さいました。妻も子供も大はしゃぎ。息子は裸でプールに飛び込みました(^◇^;)
「いつか、恩返しをさせていただきます」と言いながら…。できぬままになってしまいました。でも、今回の博多天神は、まぁ〜るく楽しく勤めさせていただきました( ^∀^)/
ツーショット写真は昨年の博多天神が最後になってしまいましたが、数々の思い出と御恩は一生忘れません。ありがとうございました。合掌。